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[[2002年]]は正捕手の矢野が故障離脱をしたものの、チャンスを生かせず、逆に出場機会が減り、39試合の出場にとどまり、打撃面でも1割台と不調に終わってしまった。この年から監督に就任した[[星野仙一]]のチームの大改革もあり、オフに[[下柳剛]]・[[中村豊 (野球)|中村豊]]との複数トレードで[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]に[[伊達昌司]]と共に移籍した。
 
1992年に114試合に出場してから、翌年以降正捕手の座を手中にするかと思われたが、[[関川浩一]]や[[矢野燿大|矢野輝弘]](関川らとのトレードで加入)などの存在に加え、自身も伸び悩み、非力な打撃も災いして921992年以外に100試合以上出場したシーズンはなかった。守備面でもキャッチングに不安定さが見られ、リードも相手が打てないと見たら同じ球を要求し続けるワンパターンさ(特に山田自身が苦手としていた外角スライダーを要求することが多かった)、細かい制球力のない投手に際どいコースを要求するなど投手にあわせたリードが出来ない面も見受けられ、[[野村克也]]監督には酷評された<ref>ただし、野村は山田の性格の真面目さやコーチとしての適正は後に出版された著書の一冊である「阪神タイガース暗黒時代再び」で評価している。</ref>。
 
=== 日本ハム時代 ===