「将軍後見職」の版間の差分
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安政6年を安政5年に修正した。∵西暦1858年は安政5年に相当する。徳川家茂の将軍就任は安政5年(1858年)である。 |
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'''将軍後見職'''(しょうぐんこうけんしょく)は、[[江戸時代]]後期、[[幕末]]に新設された[[政事総裁職]]、[[京都守護職]]と並ぶ[[江戸幕府]]三要職の一つである。
[[安政]]
ところが、[[文久]]2年([[1862年]])5月、[[朝廷]]内部に幕府内の親井伊派の処分を要求する動きがあり、その対応の一環として「家茂の成人」を理由に井伊に擁立された田安慶頼が後見職から退いた。続いて朝廷より、[[徳川慶喜|一橋慶喜]]を幕府の正式な役職としての将軍後見職に任じるように[[勅諚]]が下された。これを受けて同年7月に慶喜が幕府の正式な役職として新設された将軍後見職に任命された。[[元治]]元年([[1864年]])3月、慶喜が[[禁裏守衛総督]]に転じたために廃止された。
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