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[[File:Arnold J. Toynbee Anefo.jpg|thumb|アーノルド・ジョゼフ・トインビー]]
'''アーノルド・ジョゼフ・トインビー'''(Arnold Joseph Toynbee、[[1889年]][[4月14日]] - [[1975年]][[10月22日]])は、[[イギリス]]の[[歴史学者]]。
 
== 略歴 ==
[[ロンドン]]生まれ。彼の[[叔父]]は、[[歴史家・社会活動家]][[アーノルド・トインビー]](1852-1883)。区別するためミドルネームの「J」が入れられた。西欧中心の歴史観でなく、[[イスラム]]、[[仏教]]、それに特殊な存在としての[[日本]]にも着目して、各文明国の発展を描いた『[[歴史の研究]]』(原著1934-1961年)を著す。[[1911年]]、[[オックスフォード大学]]卒業。アテナイの考古学院の研究生として[[ギリシア]]に行き、帰国後、母校で研究員としてギリシア・[[ローマ]]の古代史研究と授業にあたる。[[1912年]]、[[キングス・カレッジ・ロンドン]]で歴史学の教授に就任。[[1914年]]の[[第一次世界大戦]]の勃発により「われわれは歴史の中にいる」という実感に目覚める。[[1929年]]には太平洋問題調査委員として来日。この際に[[松本重治]]との友情を深めた。
 
[[ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス]]教授、[[王立国際問題研究所]]理事、外務省調査部理事等を務める傍ら『ギリシャ歴史思想』『平和会議後の世界』等を執筆。最も有名な著書『歴史の研究』は全25巻。
 
==日本語訳著書 ==
=== 単著 ===
*『世界と西欧』(新潮社[一時間文庫], 1953年/[[社会思想社]][現代教養文庫], 1959年)
*『歴史の教訓』([[岩波書店]], 1959年)
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*『地球文明への視座――トインビー現代論集』(経済往来社, 1983年)
 
=== 共著 ===
*(フィリップ・トインビー)『現代人の疑問――二つの世代の考え方』(毎日新聞社, 1967年)
*([[若泉敬]])『未来を生きる――トインビーとの対話』(毎日新聞社, 1971年)
*([[池田大作]])『21世紀への対話』([[文藝春秋]], 1975年)
 
== 参照 ==
<references />