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シャーマン4~5両で対抗、というのは そもそもティーガーと遭遇していない、アメリカの最小の戦車組織は5両なので当たり前、ということで削除しました。
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{{戦車|
| 名称=ティーガーI
| 画像=[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-J14953, Sizilien, Panzer VI (Tiger I).jpg|350px300px]]
| 説明=シチリア駐留の第504重戦車大隊第2中隊の初期型ティーガー(1943年)
| 全長=8.45 [[メートル|m]]<ref name=walter222224>『ティーガー戦車』付録1、「ティーガーE型(初期型砲塔)の諸元」222から224頁。</ref>
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== 設計 ==
[[ファイル:VK Pre-Tiger.svg|thumb|250px|left|DWとVKの試作車の設計図]]
ティーガーI はこの戦車が登場する以前のドイツ戦車と比較し、主にその設計哲学において異なっている。これ以前のドイツ戦車は機動力と装甲、砲力のバランスを重視したものであった。当時、ドイツ軍において最強の砲火力を持つ戦車は、50mm砲装備の[[III号戦車]]であり、これに対して敵戦車の火力が上回ることもあったが、ドイツ軍は優れた戦術でこの不利を跳ね返した。
 
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ティーガーI の車体形状とレイアウトは[[IV号戦車]]によく似ていたが、戦闘重量57トンと二倍以上の重さがあった。これははるかに厚い装甲と大口径の主砲を備えていることに加えて、この重量を駆動させるために必然的に大きくなる540リットルの燃料タンクと92発の弾薬格納庫、更に大きなエンジン、強固な変速機と[[サスペンション]]を備えた結果であった。
[[ファイル:TigerITankTunis.jpg|thumb|250px|[[1943年]]、チュニジアでアメリカ軍に鹵獲された第504重戦車大隊第1中隊の初期型]]
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-299-1805-12, Nordfrankreich, Panzer VI (Tiger I).jpg|thumb|250px|[[第1SS装甲師団]]のティーガー]]
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-461-0213-34, Russland, Panzer VI (Tiger I) wird aufmunitioniert.jpg|thumb|250px|[[東部戦線]]でのティーガー(1943年6月)]]
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-299-1805-10, Nordfrankreich, Panzer VI (Tiger I).jpg|thumb|250px|[[SS第101重戦車大隊]]のティーガー]]
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-022-2935-10A, Russland, Panzer VI (Tiger I).jpg|thumb|250px|[[東部戦線]]におけるティーガー(1943年)]]
 
=== 装甲 ===
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=== 欠点 ===
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-022-2926-11A, Russland, Abschleppen eines Tiger I.jpg|thumb|250px|[[Sd Kfz 9]]で牽引中のティーガーI ]]
ティーガーI の機械的信頼性は、その57トンの車重により大きく損なわれた。この過大な重量は、サスペンションに負荷をかけたが、これは複雑で修理が困難だった。複雑な変速器と操向装置は、実戦で大きな負荷をかけると壊れやすかった。そのため、移動は基本的に列車で行われた。もし、行軍の必要がある場合は、低速で行動しなければ、ブレーキやトランスミッションが著しく消耗し、肝心の戦闘ができなくなった。適切なオーバーホールや整備を受けない車輛は、簡単に故障を起こして使用不能となった。
 
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その後、[[バルバロッサ作戦]]でドイツ軍が遭遇したソ連のT-34は、既成のドイツ戦車を時代遅れのものへ変えた。ヘンシェル社の設計技師だったエアヴィン・アーダース(Erwin Aders)は「ソ連軍の戦車が国防軍のどの戦車よりも優れていると判った時は皆仰天した」と語っている。ティーガーI はそれまでの試作重戦車を拡大した設計であって、後のパンター戦車と異なり、T-34と遭遇したうえでの機械的比較や戦訓をもととした、傾斜装甲などの革新的な設計は取り入れられていない。しかしながら装甲の厚さがこれを補った。
 
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-635-3965-21, Panzerfabrik in Deutschland.jpg|thumb|250px|ティーガーI の生産を行うヘンシェル社工場]]
[[フェルディナント・ポルシェ|ポルシェ]]社とヘンシェル社は試作車の設計案を提出し、実際に製作された車両は1942年4月20日のヒトラーの誕生日に、ラステンブルクにおいてヒトラーの前で比較された。ポルシェ案の[[VK4501(P)]]は、故障の多かった変速機を省略するため、エンジンで発電機を廻してモーターを駆動する電気駆動方式を採用し、サスペンションも外部にトーションバーを配置する簡易な設計であった。ヒトラーはこれに関心を示したが、モーターには不足していた銅を大量に必要とするためもあって堅実なヘンシェル案が採用された。ティーガーI ことVI号戦車E型の量産は1942年8月に開始された。なお既にポルシェ案の車体も90輌先行生産されており、これを流用して[[エレファント重駆逐戦車|フェルディナント]]またはエレファントとして知られることになる重駆逐戦車が製造された。
 
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[[北アフリカ戦線]]での最初の戦闘では、ティーガーI は開けた地形で連合国戦車を圧倒できた。しかし機械的欠陥により、同時に投入できたティーガーI の台数はごく少なかった。レニングラードでの経験をなぞるように、少なくとも1輌のティーガーI はイギリス軍の[[オードナンス QF 6ポンド砲|6ポンド対戦車砲]]により撃破された。
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-022-2935-24, Russland, Treffer an Panzer VI (Tiger I).jpg|thumb|250px|側面に着弾しながらも貫通しなかった砲弾痕]]
ティーガーI の過大な重量から渡れる橋は限られており、地下室のある建物跡を横切ることは危険だった。もう一つの弱点は、油圧旋回する砲塔の回転速度が遅いことだった。砲塔は手動で動かすこともできたが、照準の微調整に用いられる程度であった。
 
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防御戦闘では低機動力はあまり問題にならず、ティーガーI の装甲と火力は全ての敵にとって恐怖の的だった。遭遇確率の高い[[V号戦車パンター|パンター]]の方がより大きな脅威だったが、ティーガーI の存在が連合軍兵士に与えた心理的影響は大きく、「タイガー恐怖症(タイガー・フォビア)」を引き起こした。ティーガーとの遭遇は極めて稀であった。連合軍兵士はティーガーI を見かけると立ち向かうよりも逃げ出したが、[[シュルツェン]]が装着された[[IV号戦車]]のようにティーガーに似ているだけの戦車に対しても同様のことが起こった。ソ連の[[T-34]]もティーガーI を恐れた。それはまるで以前ドイツの[[III号戦車]]がソ連の重戦車を恐れたのと同じであった。連合軍側で受け入れられた戦術は、一団となってティーガーに当たることであった。1輌がティーガーの注意を引き付けている間に、他が側面や背面を狙う。ティーガーI に搭載されている弾薬や燃料は、スポンソンに格納されているため、側面を貫通すれば撃破できることが多かった。しかしこれはリスクのある戦術であり、連合軍側は複数の戦車を失うこともあった。ティーガーの部隊を撃滅するには実に巧妙な戦術が必要だった。
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-554-0872-35, Tunesien, Panzer VI (Tiger I).jpg|thumb|250px|チュニジアに進出した第501重戦車大隊の極初期型]]
 
ティーガーI は軍直轄の独立[[重戦車大隊]]に配備されることが多かった。これら大隊は突破作戦でも、さらに反撃戦においても激戦地に投入された。陸軍の精鋭である[[大ドイツ師団]]や武装SS師団の内でも番号の若い精鋭師団は、ティーガーI をある程度装備していた。
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== 連合軍による捕獲 ==
{{seealso|タイガー131}}
[[ファイル:Tiger 131 (7527948486).jpg|thumb|250px|砲塔番号131番のティーガーI]]
[[ファイル:Zhukov at the Tiger tank.jpg|thumb|250px|鹵獲したティーガーを視察する[[ヴォロシーロフ]]、[[ゲオルギー・ジューコフ|ジューコフ]]ら赤軍]]
1943年4月21日、[[第504重戦車大隊]]の砲塔番号131番のティーガーI が、[[チュニジア]]のジェベルジャッファの丘での[[イギリス軍]]の[[チャーチル歩兵戦車]]との戦闘後に捕獲された。その戦車は修理され、チュニジアでしばらく展示された後、[[イギリス]]本国に送られ徹底的に調査された。しかし米英など[[西側諸国|西側]]連合国はこのドイツ戦車がいかなる自軍戦車より優れていることが判明したにもかかわらず、ほとんど対策をとらなかった。これは、一つにはティーガーI は[[大量生産]]がなされないだろうという正しい推測による。また[[アメリカ陸軍]]の戦術教条では、戦車というものは戦車対戦車の戦闘には重点をおかず、対戦車戦闘は[[駆逐戦車]]の担当となっていたことによる。一方[[イギリス陸軍]]はティーガーI の調査後、17ポンド砲を搭載した[[シャーマン ファイアフライ]]や[[コメット巡航戦車]]を投入したが、後者は登場時期がライン渡河作戦以降であったため、ドイツ戦車と遭遇する機会はほとんどなかった。
 
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== 対戦車兵器としてのティーガーI ==
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 101I-022-2935-18A, Russland, getarnter Panzer VI "Tiger I".jpg|thumb|250px|木陰に身を隠すティーガー、手前の乗員が履帯の跡を消している]]
ティーガーI はもともと陣地突破のための攻撃用兵器として設計されたが、実戦投入されたときには軍事情勢は劇的に変化しており、主に敵戦車隊の突破を阻止する「火消し役」としての機動防御戦闘に多用された。
 
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== バリエーション ==
[[ファイル:Bovington Tiger II grey bg.jpg|thumb|250px|ティーガーII]]
; [[ティーガーII]]
: Panzerkampfwagen VI Ausführung B "Tiger II" (Sd.Kfz.182)
: ティーガーIの発展型。更なる重装甲、重武装が施されている。ティーガーI の後継車輌として生産された。
{{-}}
[[ファイル:Sturmtiger Sins.jpg|thumb|250px|シュトルムティーガー]]
; [[シュトルムティーガー]]
: 38cm RW61 auf Sturm(panzer)mörser Tiger
: 損傷を受けたティーガーIを改造して製作された、38cm[[臼砲]]を搭載した[[突撃砲]]。
{{-}}
; [[:en:Bergetiger|ベルゲティーガー]]
: Bergetiger