「カトリック教会」の版間の差分

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カトリック教会では、[[1054年]]の[[正教会]]との分裂や、それよりもはるかに古い[[エフェソ公会議]]や[[カルケドン公会議]]における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であると捉えている。それをよく示すのは、[[1994年]]11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言<small>([[:en:Common Christological Declaration Between the Catholic Church and the Assyrian Church of the East|英語版]])</small><ref>[http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/chrstuni/documents/rc_pc_chrstuni_doc_11111994_assyrian-church_en.html COMMON CHRISTOLOGICAL DECLARATION BETWEEN THE CATHOLIC CHURCH AND THE ASSYRIAN CHURCH OF THE EAST] The Holy See(バチカン公式サイト)</ref>』である。これはカトリック教会の[[教皇]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]と[[アッシリア東方教会]]の[[総主教]]{{仮リンク|マル・ディンハ4世|en|Dinkha IV}}の間で調印された。アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は、[[431年]]のエフェソ公会議で争われた「[[テオトコス論争]]」という[[聖母マリア]]の称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。『共同宣言』では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。
 
さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側では、カトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、[[教皇|ローマ教皇]]の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立は[[フィリオクェ問題]]という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは[[十字軍]]問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。カトリック教会で用いられる「教導権」という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は[[神学者]]のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解すると必ず矛盾や対立が生じることになると考える。[[ユダヤ人]]の教育において、指導者が[[トーラー]]を声に出して読みながら、覚えさせるという伝統があるが、これは[[ヘブライ語]]の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。
 
カトリック教会と[[プロテスタント]]の諸教会との間での教義的な差異は、東方教会よりさらに大きい。プロテスタントは、カトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、[[2007年]]の「[[教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答]]」において「16世紀の[[宗教改革]]から生まれたキリスト教共同体([[プロテスタント]])は、[[使徒継承]]による[[司祭]]職の[[秘跡]]を欠くため、カトリックの教えによれば、固有の意味で『教会』と呼ぶことはできない」としている<ref>[http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/pontifical/ecclesiology07/index.htm 教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答(日本語訳)] カトリック中央協議会</ref>。