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|退任日 = 現職
}}
'''黒岩 祐治'''(くろいわ ゆうじ、[[1954年]][[9月26日]]<ref name="profilepage"/> - )は、[[日本]]の[[政治家]]、元[[ニュースキャスター]]である[[2011年]]4月から[[神奈川県知事一覧|神奈川県知事]]<ref name=kitasato>[http://www.pharm.kitasato-u.ac.jp/biostatis/khsympo201407/profile/kuroiwa.html 第13回北里・ハーバードシンポジウム] 2014年</ref>である。
[[1980年]]4月から[[2009年]]9月まで[[フジテレビジョン]]で<ref name=kitasato/>報道記者、番組[[ディレクター]]、キャスターなどを務め<ref name=kitasato/>、同年10月から2011年3月まで<ref name=kitasato/>[[国際医療福祉大学]][[大学院]][[教授]]<ref>[http://www.iuhw.ac.jp/composition_contest/ 「共に生きる社会」めざして 高校生作文コンテスト] 2010年</ref>、[[早稲田大学]][[大学院]]公共経営研究科講師(非常勤)<ref>[http://web.archive.org/web/20061001143237/http://www.waseda.jp/seikei/osp/about/03.html 早稲田大学 大学院 公共経営研究科 公共経営研究科について:教員紹介]</ref>、{{要出典範囲|date=2016-01|[[新しい日本をつくる国民会議]]運営委員}}を務めた。
 
1980年4月から2009年9月までフジテレビジョンで<ref name=kitasato/>報道記者、番組ディレクター、キャスターなどを務め<ref name=kitasato/>、同年10月から2011年3月まで<ref name=kitasato/>[[国際医療福祉大学]]大学院教授<ref>[http://www.iuhw.ac.jp/composition_contest/ 「共に生きる社会」めざして 高校生作文コンテスト] 2010年</ref>、[[早稲田大学]][[大学院]]公共経営研究科講師(非常勤)<ref>[http://web.archive.org/web/20061001143237/http://www.waseda.jp/seikei/osp/about/03.html 早稲田大学 大学院 公共経営研究科 公共経営研究科について:教員紹介]</ref>、{{要出典範囲|date=2016-01|[[新しい日本をつくる国民会議]]運営委員}}を務めた。
 
== 略歴 ==
*1954年 [[兵庫県]][[神戸市]]出身<ref name="profilepage"/>。
*1980年 早稲田大学政治経済学部卒業<ref name="profilepage"/>する
*1980年 フジテレビジョン入社する
*[[1988年]] 『[[FNNスーパータイム]]』でキャスターを担当する。
*1988年 『FNNスーパータイム』のキャスターに。報道記者やディレクター時代の経験を生かして自ら特集の企画・取材・編集を手がけ、その1つである救急医療キャンペーン「救急医療にメス」が1989年1月から2年間にわたり放送され、この企画が救急救命士の誕生に結びつく。
*[[1990年]] 自身が企画した救急医療キャンペーンの報道番組「救急医療より、メス」が第16回放送文化基金賞民間放送連盟賞を受賞する
*[[1992年]] フジテレビの日曜朝の[[報道2001]]キャスターを、5年間務め担当する。
*[[1993年]] プロデュースとキャスターを務めた、ドキュメンタリーシリーズ「感動の看護婦最前線」が民間放送連盟賞を受賞する
*[[1997年]] ワシントンD.C.支局特派員になる
*[[1999年]] 再び[[報道2001]]キャスターに復帰を担当する
*[[2002年]] 「感動の看護婦最前線」が再び、民間放送連盟賞を受賞する
*2009年 キャスターを務めていた『新報道2001』のキャスターを降板しフジテレビ退職する
*2009年 国際医療福祉大学大学院教授に着任。研究テーマは「医療・福祉に関する実践的メディア論」「医療・福祉に関する報道の検証」「メッセージ力の高め方」など
*2011年 神奈川県知事選挙無所属で出馬。投票総数の55.5%に相当する1,728,862票を獲得立候補初当選する
*2011年4月23日 神奈川県知事に就任したする
*[[2013年 ]] 内閣官房 健康・医療戦略 参与 就任(全国地方自治体首長で唯一)を拝命する。
*[[2014年 ]] 内閣官房 ロボット革命実現会議 委員 就任(全国地方自治体首長で唯一)する。
*[[2015年]] 神奈川県知事に再選される
 
== 来歴 ==
神戸市出身<ref name="profilepage"/>。{{要出典範囲|date=2016-01|[[芦屋市]]で育}}[[灘中学校・高等学校]]卒業後に[[東京大学]]受験に3度失敗し、2を経て[[早稲田大学]][[政治経済学部]]を卒業した。[[1980年]]4月、[[フジテレビジョン]]に入社する。{{要出典範囲|date=2016-01|同期入社[[山村美智|山村美智子]]、[[土井尚子]]、[[亀山千広]]、[[松本方哉]]}}が居る
 
[[1988年]]4月から『[[FNNスーパータイム]]休日のアンカーマンを[[小田多恵子]]と共に務める。平日のアンカーマン[[逸見政孝]]が番組の人気上昇に貢献する一方、黒岩は報道記者やディレクター時代の経験を生して自自身が特集企画して取材編集を手がけ、その1つであるした救急医療キャンペーン「救急医療にメス」が[[1989年]]1月から2年間にわたり放送され、この企画が[[救急救命士]]の誕生に結びついた[[1991年]]4月から、報道記者転じた[[上田昭夫]]に代わり[[1991年]]4月から平日のアンカーマンを務める。
 
[[2009年]]9月、キャスターを務めていた[[新報道2001]]』を降板し同月30日にフジテレビ退職することが公表された<ref>{{Cite news | url = http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20090918-545240.html | title = フジテレビ黒岩祐治キャスターが退社 | newspaper = [[日刊スポーツ]] | date = 2009-09-18 | accessdate = 2015-12-19 }}</ref>する旨公表される。10月から[[国際医療福祉大学]][[大学院]][[教授]]に着任する。研究テーマはして「医療・福祉に関する実践的メディア論」「医療・福祉に関する報道の検証」「メッセージ力の高め方」等を研究する
 
[[2011年]]3月16日、8日後に告示される[[神奈川県知事]]選挙]]に[[無所属]]で出馬する意向を表明した<ref>[http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1103170022/ 県知事選:告示わずか8日前で構図ようやく固まる、3氏が出馬表明/神奈川]2011年3月17日</ref>する当初、3選出馬が有力視されていた現職の[[松沢成文]]が[[2011年東京都知事選挙|東京都知事選挙]]への出馬を3月1日に表明したため、松沢の都知事選への鞍替えが結果的に黒岩の出馬表明が告示日の直前までずれ込む遠因になった(松沢は一旦は出馬表明したものの、<ref>現職の[[石原慎太郎]]4選出馬表明したため最終的より、松沢は出馬表明後に断念し石原を支持している。</ref>したことから黒岩の出馬表明が告示日直前になる
選挙戦で[[自由民主党_(日本)|自民]][[民主党 (日本 1998-2016)|民主]][[公明党|公明]]3党県連が相乗りし事実上[[オール与党]]体制で支援が行わた。黒岩の前[[開成町|開成町長]]で[[みんなの党]][[神奈川ネットワーク運動]]推薦する[[露木順一]][[日本共産党]]の候補者らが県知事選に出馬したがするも黒岩は投票総数55.5%にパーセント相当する1,728,862の1728862票を獲得し初当選した<ref>[http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1104110017/ 知事選:黒岩氏、「知名度」戦略が奏功し大勝/神奈川]2011年4月11日</ref>する[[
2011年]]4月23日、正式に神奈川県知事に就任したする[[
2015年]][[4月12日]]、神奈川県知事に再選される
 
== 政策 ==
=== 太陽光パネルの設置 ===
2011年4月の神奈川県知事選挙にて同年3月11日の[[東日本大震災]]による原発事故後に実施される4月対応が日本全体の緊急課題神奈川県知事選挙あった状況下、「“反”原発」ではなく「“脱”原発」を掲げ、県内住宅施設への太陽光発電パネル普及政策として打ち出し、「4年間で200万戸分の太陽光パネル設置(自己負担しで設置という[[公約]]に掲げとして当選したがするも、当選した後の10月に「(公約を)忘れてほしい」と撤回した(公約不履行)<ref>[http://www.j-cast.com/2011/10/08109505.html?p=all 神奈川県黒岩知事、選挙公約「忘れてほしい」「太陽光で脱原発」トーンダウン([[J-castニュース]]、2011年10月8日)]</ref>する
 
=== 東日本大震災被災地がれき受け入れ===
2011年5月17日、[[東日本大震災]]で発生したがれきなどを[[かながわ環境整備センター]]で受け入れると表明し、放射性物質汚染された廃棄物処理について「別の扱いとなっており、受け入れの対象ではない」と強調しつつ「県を挙げて被災地の復興を支援したい」と述べ東日本大震災で発生しがれきなどをかながわ環境整備センターで受け入れる<ref>[http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1105180012/ 震災がれきなど黒岩知事が受け入れ表明、汚染廃棄物は「対象ではない」/神奈川 2011年5月18日 カナロコ]</ref>旨を表すも、同年11月9日の会見で「どうぞ、とすぐにも言いたい気持ちだが、現実的にはなかなかそうもいかない、というのが正直なところだ」と広域処理の協力に慎重な姿勢<ref>[http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1111090030/ 被災地がれき受け入れ、黒岩知事が慎重姿勢/神奈川 2011年11月10日]</ref>を表し、[[2012年]]12月26日に、漁網の受け入れについて「被災地の声は漁網(がれき)の処理を手伝ってほしいということ」、「救いたい気持ちに変わりはない」と<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/121230/kng12123008010000-n1.htm がれき年内決着せず 神奈川・黒岩祐治知事 2012.12.30 08:00 [週刊知事 神奈川・黒岩祐治]MSN産経ニュース]</ref>述べる。後に、南足柄市と箱根町が災害廃棄物の漁網受け入れを表して2013年7月31日に合意書を取り交わし、岩手県洋野町から神奈川県が受諾した漁網を南足柄市と箱根町が処理し、同年12月12日に受け入れを終了<ref>[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f362076/ 東日本大震災によって発生した災害廃棄物の受入れについて]</ref>している
 
黒岩はその後、同年11月9日の会見で「どうぞ、とすぐにも言いたい気持ちだが、現実的にはなかなかそうもいかない、というのが正直なところだ」と述べて広域処理への協力に慎重な姿勢を示したが<ref>[http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1111090030/ 被災地がれき受け入れ、黒岩知事が慎重姿勢/神奈川 2011年11月10日]</ref>、2012年12月26日には記者団に対し、漁網の受け入れについて「被災地の声は漁網(がれき)の処理を手伝ってほしいということ」、「救いたい気持ちに変わりはない」と述べた<ref>[http://sankei.jp.msn.com/region/news/121230/kng12123008010000-n1.htm がれき年内決着せず 神奈川・黒岩祐治知事 2012.12.30 08:00 [週刊知事 神奈川・黒岩祐治]MSN産経ニュース]</ref>。
 
その後、南足柄市と箱根町が災害廃棄物(漁網)の受け入れを表明し、神奈川県では受け入れが円滑に行われるよう協力し、結果、2013年7月31日に合意書を取りかわし、神奈川県が岩手県洋野町より受諾した漁網を南足柄市と箱根町が処理することとなり、同年12月12日をもって受け入れを終了した<ref>[http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f362076/ 東日本大震災によって発生した災害廃棄物の受入れについて]</ref>。
 
== 人物 ==
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* 座右の銘は「愚直」<ref name="profilepage"/>
; ホメオパシー
: 医療福祉系大学教授でありながら職在任中に「[[ホメオパシー]]批判」を批判しており、この件で[[大槻義彦]]から批判されている<ref>[http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-8a42.html 大槻義彦のページ 【ホメオパシーと黒岩祐治】]</ref>される
 
== フジテレビ勤務歴 ==
* 1980年4月-[[1983年]]3月 - スポット営業部
* 1983年4月-[[1987年]]3月 - [[報道部]]([[政治部]]、[[社会部]])記者。
* 1987年4月-[[1988年]]3月 - [[ノンフィクション]][[ディレクター]]
* 1988年4月-[[1997年]]3月 - [[ニュースキャスター]]
* 1997年4月-[[1999年]]3月 - [[ワシントンD.C.]]支局特派員
* 1999年4月-2009年9月 - ニュースキャスター
 
== 出演番組 ==
* 1988年4月-1991年3月 - 『[[FNNスーパータイム]]』:アンカーマン(週末)
* 1991年4月-[[1992年]]3月 - 『FNNスーパータイム』:アンカーマン(平日)
* 1992年4月-1997年3月 - 『[[報道2001]]』:司会 
* 1999年4月-[[2000年]]3月 - 『[[FNNスーパーニュース]]』:キャスター(平日)
* 1999年12月-[[2008年]]9月 - 『報道2001』:司会
* 2008年10月-2009年9月 - 『[[新報道2001]]』:コメンテーター
* 2004年-現在 - 『[[黒岩祐治のメディカルリポート]]』([[医療福祉チャンネル774]])774)
* 『[[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島#第2回(1988年)FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'88|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'88]]』:レポーター 
* 『[[感動の看護婦最前線]]』:キャスター、プロデューサー
* 『[[奇跡の生還者]]』:キャスター、プロデューサー 
* 『[[FNS番組対抗!春秋の祭典スペシャル|FNS春の祭典 ようこそ中居旅館へ! 話題のドラマ&新番組大宴会]]』
* 『[[クイズ$ミリオネア]]』
* 『[[上柳昌彦のお早うGoodDay!]]』([[ニッポン放送]]):ゲストコメンテーターとして不定期出演
* 2009年6月-2011年3月『[[黒岩祐治の人材発掘]]』([[シアター・テレビジョン]]):ホスト、監修
* 2010年4月-現在『[[晋ちゃん&黒ちゃんのシンクロナイストーク]]』(シアター・テレビジョン):[[安倍晋三]]と共にホスト、監修
 
== 舞台 ==
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* 『救急医療にメス・走れ家族のための救急車』[[情報センター出版局]]([[1990年]])ISBN 4795810524
* 『ナースたちの朝』[[講談社]]([[1994年]])ISBN 4062066467
* 『人間はテレビよりスクープだ』[[三五館]]([[1998年]])ISBN 4883201627
* 『マスコミ改革を考える』[[自由国民社]]([[2003年]])ISBN 4426121078(共著)
* 『恩師の条件:あなたは「恩師」と呼ばれる自信がありますか?』[[リヨン社]]発行、[[二見書房]]発売(2005年)
* 『消防官だからできること』[[リヨン社]]
* 『夢を実現するチカラ』[[扶桑社]]
* 『日本を再生するマグネット国家論』
* 『灘中 奇跡の国語教室:橋本武の超スロー・リーディング(中公新書ラクレ394)』[[中央公論新社]](2011年)ISBN 9784121503947
 
== 利益誘導疑義報道 ==
== その他 ==
[[2015年]][[9月8日]]付の[[毎日新聞]]の報道によると、[[パチスロ]]機器メーカー[[オーイズミ]]と提携している[[医療法人]]が、による[[厚木市]]内に[[病院]]と[[高齢者住宅]]などを建設する計画を立てたが、県内部規則を適用することなくせず開設許可を出し、直後に土地が差押を受けた。にさえられる関わらず、県は法令上手続を先送りし着工を了承。その結果、して病院は完成したものの、開院できない状態となっていである。オーイズミ会長は黒岩に個人[[政治献金|献金]]しているが、黒岩は[[利益誘導]]を否定した<ref>[http://mainichi.jp/shimen/news/20150908ddm041010101000c.html 神奈川県:知事支援者に病院許可 休眠中法人、内規適用せず] 毎日新聞 2015年9月8日</ref>している。[[全国市民オンブズマン連絡会議]]の[[大川隆司]]は口利き、利益誘導の「典型例だ」と指摘した<ref>[http://mainichi.jp/articles/20150908/ddm/041/010/114000c 知事支援者に病院許可 「全国市民オンブズマン連絡会議」元代表幹事の大川隆司弁護士の話]毎日新聞2015年9月8日 東京朝刊</ref>と語る
 
== 脚注 ==
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