「韓国人メジャーリーガー」の版間の差分

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例えば、2003年に韓国プロ野球で年間56本塁打のアジア記録(当時)を出した[[李承ヨプ (野球)|李承燁]]は、同年にFA権を取得した当初はメジャーに挑戦する意向だった。しかし、メジャー登録40人枠([[ロースター (MLB)|ロースター]])入りを確約するメジャー契約を提示する球団が現れず、獲得に興味を示した[[ロサンゼルス・ドジャース|ドジャース]]の条件提示はマイナー契約で、金銭的条件も良くなかったため、結果的に[[千葉ロッテマリーンズ]]からの誘いを受けて入団した経緯がある。当時のメジャー球団では、李承燁が作った本塁打記録の価値に対する評価が低かったこと(李が所属していた[[三星ライオンズ]]の本拠地である大邱市民運動場野球場は、韓国でも指折りの狭さの上に、前述の56号本塁打を放った2006年までラッキーゾーンが存在していた)や、「韓国人選手は、投手は活躍できても、野手は難しい」との評価が主流だったことなどが影響していた。なお、韓国プロ野球から[[ポスティングシステム]]によりメジャー入りを目指す動きが1990年代後半からあった。しかし1998年に[[李尚勲]]の落札額が65万ドル、2002年に[[陳弼重]]が落札額2万5000ドル、[[林昌勇]]の落札額が65万ドルで、いずれも落札金額が少なかったことを理由に、入団交渉は不成立だった。李と林は、ポスティング移籍が不成立だったために、結果的に日本プロ野球に移籍した後、メジャーに移籍したのである。
 
一方で、[[ワールド・ベースボール・クラシック]](WBC)の第1回(2006年)大会で韓国は3位、第2回(2009年)大会では準優勝を獲得し、2008年の[[北京オリンピック]]では[[金メダル]]を獲得するなど、国際大会における韓国代表チームの活躍が目立つようになった。これら国際大会での活躍により、韓国プロ野球の選手もメジャーリーグから注目されるようになった。2012年末には、[[ハンファ・イーグルス]]に所属していた[[柳賢振]]が、韓国では初の、国内プロ球団からメジャー球団への[[ポスティングシステム]]による移籍を実現させた。柳を落札したのはドジャースで、球団側に支払われる落札額は2573万ドル、柳個人への契約は6年総額3600万ドル+出来高という破格の金額となり、韓国国内では大変な話題になった。
 
2014年2月、前年に[[起亜タイガース]]からFA(フリーエージェント)を行使して[[ボルティモア・オリオールズ]]と契約した[[尹錫ミン (投手)|尹錫珉]]は、2014年シーズン、オリオールズ傘下のAAA級マイナーリーグに所属し、メジャーリーグで登板できず、翌2015年3月古巣起亜へ復帰した。