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彼らは多数の部族から構成され、その細かな部族の緩やかな連携を基とした連合組織を政体としていた。ほとんどの時代を、彼らは領土拡張の意思を持たない山岳部族として過ごしたが、ほんの短期間においてイタリアの東西の沿岸にまでまたがる地域を支配した時期もあった。ローマのような突出した権力体制を持たなかったが、中心的な都市としてローマの記録に残っているものに、[[ボヤーノ|ボワイアモム]]<ref>Bovaiamom、のちに[[ラテン人]]によってボウィアヌム (Bovianum) と名づけられる。現[[ボヤーノ]]。</ref>、[[ベネヴェント|マルウェントゥム]]<ref>Malventum、彼らの言葉[[オスク語]]ではマロエントン (Maloenton) と呼ばれていた。のちにローマ人によってベネウェントゥム (Beneventum) と名づけられる。現[[ベネヴェント]]。</ref>の名が記されている。
 
しばしば[[王政ローマ]]、[[共和政ローマ]]と争い、その中でも最大のものは[[サムニウム戦争]]と呼ばれ、長期間にわたってローマと抗争、「[[カウディウムの戦い|カウディウムの屈辱]]」に代表されるようにしばしばローマ側が劣勢に立たされ降伏することもあった。しかしながらローマとの和睦が成立した後では、[[同盟市戦争]]のような例外はあったものの、ローマとの融合が進み、古代ローマ人として同化していった。
 
== サムニウム人の部族 ==