「鋳銭司」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
4行目:
[[銭貨]]を鋳造を担った。[[持統天皇]]の時代に初めて置かれ、以後も名前を変えながら断続的に設置された。[[和同開珎]]鋳造時には'''催鋳銭司'''(さいじゅせんし)が置かれている。また[[819年]]から[[825年]]には'''鋳銭使'''が[[長門国]]に置かれ長門国司の職務も兼ねた。[[平安時代]]後期に貨幣鋳造が行われなくなると鋳銭司が設置されることもなくなった。
 
鋳造所は[[河内国]]、[[周防国]]、[[長門国]]などに設置され、特に周防・長門国の鋳銭司官人のために[[公廨稲]]を元にした「鋳銭司俸」と呼ばれる[[出挙]]稲が[[備後国]]・周防国に計5万6千束置かれていた。<!-- 平凡社『日本史大事典』第2巻「公廨稲」(執筆:薗田香融) -->
 
== 職員 ==