「ユニオンプロレス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Satokimu (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
25行目:
}}
 
'''ユニオンプロレス'''は、[[日本]]の[[プロレス]][[団体]]。運営は[[TEC (企業)|TEC]]。活動時期によって第1次と第2次に分かれる。[[女子プロレス]]、怪奇派、[[空手道|空手]]マッチ、[[エクストリーム]]マッチ、[[デスマッチ]]と何でも御座れで1興行内で様々な[[スタイル]]の試合が展開されるのが特徴である。
 
== 第1次ユニオンプロレス ==
[[1993年]]、元第1次[[ネットワーク・オブ・レスリング|NOW]]の[[鶴見五郎]]、元[[オリエンタルプロレス]]の[[高杉正彦]]、元[[Pro Wrestling Crusaders|PWC]]の[[ポイズンJULIE澤田|ホー・デス・ミン]]らによりInternational Wrestling Association(IWA)結成。その後、IWAは鶴見のIWA格闘志塾(後の[[国際プロレスプロモーション]])、高杉のIWA湘南(後の[[湘南プロレス]])、ホー・デス・ミンの'''IWA流山'''(アイ・ダブリュー・エー・りゅうざん)を始めとしたインディー団体の統括組織「'''レスリング・ユニオン'''」に変化。IWA流山にはホー・デス・ミンと[[松崎一彦|松崎駿馬(現:松崎一彦)]]、[[荒谷望誉]]らが参加。しかし統括組織としての存在がうやむやになったため、IWA流山は[[1994年]]4月に団体名を「'''ユニオンプロレス'''」に改称し、独立団体として全国展開を開始する。これに合わせてホー・デス・ミンは「ポイズン澤田」に改名。
 
12月、ノーロープ有刺鉄線ランバージャック猛毒マムシデスマッチが行われ、プロレスマスコミにも取り上げれ話題になるが、地元以外での興行に苦戦し、[[1995年]][[4月28日]][[千葉県]]の流山市民総合体育館でラストマッチを行い活動停止。
 
== 第2次ユニオンプロレス ==
=== DDTプロレスリングの別ブランド時代 ===
[[2005年]][[6月29日]]、[[DDTプロレスリング]][[後楽園ホール]]大会で第1次ユニオン解散後にポイズン澤田から改名したポイズン澤田JULIEが再旗揚げを宣言。当時のDDT社長[[一宮章一]]は難色を示していたが、[[8月14日]]に和解をした。DDTの[[石川修司]]、[[チェリー (プロレスラー)|チェリー]]、フリーの[[木高イサミ|isami]](現:木高イサミ)と726が正式所属となった。代表には[[フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング|FMW]]で営業として勤めた後にDDTで音響を手掛けていた[[会場敏]](あいば・びん)が就任。
 
[[11月3日]]、再旗揚げ戦「Revival」が[[新木場1stRING]]にて敢行される。
 
[[2006年]]、第1次ユニオン代表の[[武井匡]]が裏切り、ユニオンプロレス対[[小笠原和彦]]の率いる空手軍団が勃発。度重なる抗争の末、空手軍団と和解するが、武井は[[ミスター雁之助]]と武井軍団を結成しユニオン軍と抗争。会場敏から代表権を奪い取った武井にユニオンが乗っ取られる。この状況を打開するため、澤田は助っ人として[[新日本プロレス]]練習生時代の同期である[[後藤達俊]]とタッグを組んで武井軍と対抗。
 
[[2007年]][[1月12日]]、新木場1stRING大会で武井軍と澤田による抗争の最終章として再び猛毒マムシデスマッチが行われる。この試合に勝利した澤田と武井は話し合いをし、武井はユニオン勇退を発表。ユニオン新代表としてDDTで[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]をしていた[[ナオミ・スーザン]]が選ばれる。一方、澤田はマムシデスマッチで死んだ何匹かのマムシを供養するためボルネオ島へあるヘビ塚へ旅立つためユニオンからの一時離脱を宣言する。
 
スーザン体制下で再出発後は石川をエースにしたユニオン軍と[[佐々木恭介 (格闘家)|佐々木恭介]]率いる[[U-FILE CAMP#STYLE-E|STYLE-E]]との抗争を展開した。[[DEP (プロレス)|DEP]]、[[ZERO1|プロレスリングZERO1-MAX]]とも団体間抗争を行い、団体としての結束力を高める。
 
[[2008年]][[1月25日]]、元DDTの[[NOSAWA論外]]が率いる[[東京愚連隊]]との業務提携を発表。しかし[[大家健]]の失態によって両者の関係に亀裂が生じ、抗争を展開した。
 
[[11月16日]]、[[北千住]][[シアター1010]]大会で石川が[[高木三四郎]]と[[KO-D無差別級王座|KO-D無差別級選手権]]試合、12月21日 同北千住大会でイサミが[[大石真翔]]と[[インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座|インディペンデントワールド世界ジュニアヘビー級選手権]]試合をそれぞれ行うが、いずれも敗北。
 
[[2009年]]、年明けをもって[[諸橋晴也]]がDDTから移籍。
 
[[2月6日]]、[[みちのくプロレス]]のユニット「[[九龍 (みちのくプロレス)|九龍]]」との業務提携を発表。だが、[[2月15日]]、北千住大会で石川とハヤトのメインイベント中に九龍の裏切りに合い、またも業務提携は破談。全面抗争に発展した。
 
[[8月30日]]、ユニオン初となる後楽園ホール大会開催した。
 
[[2010年]][[7月14日]]、大家健の長期負傷欠場に伴うネクスト大家健ランブルの結果、大家本人の推薦選手の[[真霜拳號]]が優勝、二代目大家健を襲名する。当初嫌がっていた真霜だがファンに押される形でユニオン限定で大家拳號を名乗ることになる。
 
12月、選手としてユニオンに移籍してきたDDTプロレスリング社長の[[高木三四郎]]が移籍して早々に国民的ユニット「[[TKG48]]」を公表、ユニオン本隊の対抗勢力となることを宣言した。そこへ乗り込んできた[[矢郷良明]]が「レスラーの使い捨て」と反発、また高木によってスーザン代表がないがしろにされていると主張して真霜と[[円華]]を巻き込み「ナオミスーザン親衛隊」を結成、ユニオン本隊を交えての三つ巴となる。
 
[[2011年]][[1月3日]]、かつて[[マッスル (プロレス)|マッスル]]の枠として確保していたものを譲り受ける形で後楽園ホール大会が決定、DDTプロレスリング社長としての高木の提案でプロモートとして全席指定席2000円(前売り価格)という後楽園興行としては破格の設定で行われた(2000円興行は翌年よりDDTで行われている)。また、同様にマッスル枠だった[[5月4日]]にも後楽園大会を行った。
 
[[2012年]][[6月17日]]、[[北沢タウンホール]]大会にてDDT内に設立された「[[東京女子プロレス]]」プレ旗揚げ戦([[NOZOMI]] vs [[石野由加莉|花月]])の提供を受ける。
 
[[10月11日]]、[[崖のふちプロレス]]との業務提携(松本曰く「吸収合併のような感じ」)を発表<ref>{{Cite web|author=ユニオンプロレス|url=http://www.ddtpro.com/report/union/article/1349944474/|title=2012年10月11日(木) 【会見】10・28新木場で石川&大家拳號vs入江&高尾|accessdate=2012-10-13}}</ref>。
 
[[2013年]]、初の認定タイトルとして[[ユニオン認定Fly to Everywhereワールドチャンピオンシップ|Fly to Everywhereワールドチャンピオンシップ]]を創設。続いて5月には[[アダルトビデオメーカー]]の[[アイデアポケット]]との[[タイアップ]]で[[世界アイデアポケット級王座]]を創設した。この年は突如現れたユニット「[[謎覆面軍団]]」とユニオン本体の抗争がメインとなったが、[[9月23日]]、[[ラジアントホール]]大会で抗争終結、謎覆面軍団は解散した。
 
=== TEC体制 - 解散 ===
[[2013年]][[9月29日]][[DDTプロレスリング]]後楽園ホール大会において、運営会社がそれまでの株式会社DDTプロレスリングから株式会社TEC(旧:有限会社DDTテック:[[2004:2004]]に[[マッスル坂井]]が初代社長として設立したDDTの映像関連子会社)に変更されることが発表された<ref>{{Cite press release |publisher=株式会社DDTプロレスリング |title=2013年09月29日(日) 【後楽園リポート1】次なる戦略は…さいたまSA進出!! |url=http://www.ddtpro.com/report/ddt/article/1380468409/ |date=2013-09-29}}</ref>。
 
[[10月23日]]、新会社となって最初の興行は[[新宿FACE]]で開かれ、所属選手によるトーナメント戦を組み、[[石川修司]]が優勝。さらにエンディングでシングル王座創設を発表。王座名は[[ユニオンMAX王座]]とし、[[12月11日]]にその初代王座決定戦が石川対[[イワン・マルコフ]]で行われ、勝利したマルコフが初代王者に就く。
 
[[2014年]][[1月22日]]、[[紫雷美央]]と所属契約を結び、[[ユニオン認定Fly to Everywhereワールドチャンピオンシップ|Fly to Everywhereワールドチャンピオンシップ]]戦線に本格参入する。一方、元ユニオンの[[大家健]]が率いる[[ガンバレ☆プロレス|ガンプロ軍]]やDDTとのレギュラー契約満了となった[[佐藤光留]]([[パンクラス|パンクラスMISSION]])ら外敵との抗争が繰り広げられている。また、活動停止された[[紅白プロレス合戦]]に代わり[[UWA世界タッグ王座]]の管理権を取得し、ユニオンのタッグタイトルとなる。
 
[[2015年]][[10月4日]]、設立10周年記念大会を開催した後楽園を最後にナオミ・スーザン代表が退任することになり、後任を含めて以降の活動について協議されたが、同大会を最後に解散することが発表された<ref>{{Cite web |url=http://www.ddtpro.com/union/29497/ |title=【記者会見】10・4後楽園の10周年記念興行で解散、石川はフリーに。「最後にどデカい花火を打ち上げましょう」(イサミ)「『ユニオンプロレス、ここにあり』という記憶に残る大会にしたい」(石川)「完全燃焼したい」(スーザン) |publishe=株式会社DDTプロレスリング |accessdate=2015-08-18 }}</ref>。
 
最終所属選手の去就について、10月7日のDDT後楽園大会前に発表が行われ、木高イサミら6人は新団体「[[プロレスリングBASARA]]」旗揚げに参加、諸橋晴也ら3人がDDT移籍、石川修司ら2人がフリーなどとなった<ref>{{Cite news |title=「プロレスリングBASARA」旗揚げ |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/ring/2015/10/07/0008464222.shtml |newspaper= |date=2015-10-07 }}</ref>。