「慈恩寺 (寒河江市)」の版間の差分

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: 仁平年間(1151年 - 1153年)築造。五間。金剛力士二尊を安置する。延文元年/正平11年(1356年)焼失か。
* 薬師堂{{ウィキ座標|38|24|37.8|N|140|15|22.6|E|region:JP||name=聞持院}}
: 中院(または東院、上の寺:現在の本堂より500mほど東)に築造されていたが建立者・時期は不明。薬師三尊、十二神将を安置する。正応3年(1290年)良源阿闍梨により聞持院と改められ、1504年の兵火は免れたと思われるが江戸時代16世紀中葉以降廃れ<ref>『上の寺遺跡第1・2次発掘調査報告書』p.37</ref>、安置されていた仏像などは本堂東の薬師堂に移された<ref>『みちのく慈恩寺の歴史』p.63-64</ref>。
* 禅定院{{ウィキ座標|38|24|39.9|N|140|14|46.4|E|region:JP||name=禅定院}}
: 西院と呼ばれ現在の本堂より250mほど西に築造されていたもので、頼覚上人によって建立された。本尊の木造阿弥陀如来坐像(現在は慈光明院(山形市)の本尊)の墨書名が寛元5年([[1247年]])であるから13世紀の半ばには建立されていたとみられる<ref>『寒河江市史 上巻』 p.427-428 </ref>。戒堂三間、僧堂三間、庫院三間、不動堂、経堂三間からなっていたという。享保12年(1727年)の時点で阿弥陀堂のみが残っており、現在は浄土宗不動山[[正覚寺 (寒河江市)]]の阿弥陀堂として移築されている。
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== 展覧会への出展 ==
=== 平成4年 ===
過去に[[ナショナル・ギャラリー (ワシントン)|ワシントンナショナルギャラリー]]に十二神将立像から卯神将と巳神将が出展された。(1953年?)[http://www.nga.gov/content/ngaweb/exhibitions/1953/japanese_painting_sculpture.html National Gallery of Art]
ワシントンで開催された国際彫刻展に十二神将立像から卯神将と巳神将が出展された<ref>山形新聞YamagataNewsOnline 平成28年5月8日記事</ref>。
 
=== 平成27年 ===
[[東京国立博物館]]で開催される特別展「みちのくの仏像」に十二神将立像から丑神・寅神・卯神・酉神の4体が出展された。
 
=== 平成28年 ===
[[イタリア]]・[[クイリナーレ宮殿|クイリナーレ宮]]美術館で開催される日本仏像展に十二神将立像から丑神・巳神・戌神・亥神の4体が出展される<ref>[http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/2016041901.html 文化庁主催海外展]「日本仏像展」の開催</ref>。
 
== 逸話 ==
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* 2015年8月29日
: オカリナ [[宗次郎]]「土の響き」
* 2016年8月27日
: 東儀秀樹「雅の世界」
 
== 拝観 ==
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* [http://www.tohoku36fudo.jp/reijyou/index2.html 東北三十六不動尊霊場会]
* [https://www.pref.yamagata.jp/bunkyo/bunka/bunkazai/8700015shitei1ran.html 山形県内の指定文化財]
* [http://rarrarcom.yamagatalib.niishimane-u.ac.jp/ 山形県遺跡資料リポジトリ]{{deadlink|date=2015-12-19}}
* [http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp 国指定文化財等データベース]
* [http://www.city.sagae.yamagata.jp 山形県寒河江市公式ホームページ]