「山野一」の版間の差分

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また、山野は自身の少年時代について「普通の公立学校に通って、特に目立たず、何もせずぼうっと暮らしていましたね。不良でもないし、インテリでもないし、読書家でもないし、スポーツもしない、本当に特徴のない子でしたね。あえて無理に言えば何もないっていうのが当時の印象ですね。」と回想しており、「育ったところに対して郷愁なんて何もない」と答えている<ref>『危ない1号』第2巻、184頁。</ref>。
 
中学2年生の時に[[千葉県]]へ移り、[[ヤンキー文化]]に[[カルチャーショック]]を受ける<ref>『危ない1号』第2巻、185頁〜186頁。</ref>。中学卒業後、地元一番の進学校である県内の高校に進学するが、本当に気の合う人というのは一人も居なかったという<ref>『危ない1号』第2巻、186頁。</ref>。高校卒業後、[[立教大学]]に入学し、大学3年から4年にかけての時期に入部していた美術クラブで漫画を描き始める<ref name="危ない1号第2巻187頁" />。絵や[[デッサン]]に関しては全く習ったことが無く完全に独学だという<ref name="危ない1号第2巻187頁" />。
 
[[吉永嘉明]]が行ったインタビューによると、山野は「大学2年か3年の時」に[[東京駅]]の[[八重洲口]]で「神の啓示を受けた」という(この「神」について山野は「なんだかわからないから神様といってます」と説明している)<ref name="危ない1号第2巻187頁" />。その体験によって山野は、将来の自分の職業が「部屋にずっと籠って何かを書く仕事」になるという展望を得た(この時点では、漫画家になるという明確な展望を得たわけではない)<ref name="危ない1号第2巻187頁" />。また、インタビューの中で山野は、漫画を描くという労働の特徴として、「人と会わなくてすむ」ことを挙げている<ref name="危ない1号第2巻187頁" />。その上で、インタビュー当時の話として、他人との持続的な接触が要求される状況で心理的重圧を受けていたことを述べている<ref name="危ない1号第2巻187頁" />。