「竹田出雲」の版間の差分

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当時の評判記には「名人 極上上吉 竹田出雲、ぷつぷつと智恵の吹出雲」の評価を受ける。[[寛保]]元年([[1741年]])には息子の[[竹田近江 (3代目)|三代目近江]]の付き添いで[[江戸]]に下り、[[市川團十郎 (2代目)|二代目市川團十郎]]と親交を持った。
 
最終作は『[[菅原伝授手習鑑]]』。初代出雲が単独で執筆した作品は10編程度で、合作を含めると30編を超える。墓所は[[大阪]][[生玉]]の[[青蓮寺]]{{要曖昧さ回避|date=2016年5月}}。なお竹田出雲の名については、初代近江が竹田出雲を名乗っていたことがあり、またほかにも一族で竹田出雲を名乗っていた者がいたともいわれるが、現在では初代近江の次男にして竹本座座元であったこの人物を初代竹田出雲としている。
 
== 二代目 ==