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[[Image:Epiro 1205-1230.svg|thumb|right|300px|1205年から1230年にかけてのエピロス専制侯国の版図]]
'''エピロス専制侯国'''(エピロスせんせいこうこく, {{lang-el|Δεσποτάτο της Ηπείρου}}, {{lang-en|
Despotate of EpirosEpirus}})は、[[1204年]]の[[第4回十字軍]]による[[コンスタンティノポリス]]攻撃で[[東ローマ帝国]]が一旦滅びた時、[[ニカイア帝国]]、[[トレビゾンド帝国]]などと共に出来た[[亡命政権]]の一つ。「[[専制公国]]」と表記される場合もある(以下、こちらの表記を優先する)。なお「エピロス」は[[ギリシャ語]]に基づく慣用形で、古典ギリシャ語読みでは「エペイロス」、中世ギリシャ語では「[[イピロス]]」、[[ラテン語]]では「エピルス」である。
 
元々「[[専制公]](デスポテース)」とは東ローマ帝国の[[爵位]]の一つで、[[12世紀]]前半の[[コムネノス王朝]]時代に作られたものである。皇帝に次ぐ地位で、皇帝の嫡男などの後継候補が就いていた。