「パッツィ家の陰謀」の版間の差分

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陰謀に加担したパッツィ家の処刑の様子を、[[1478年]]に[[サンドロ・ボッティチェッリ|ボッティチェッリ]]が、フィレンツェの警察署と市庁舎の間の壁に[[フレスコ画]]で描いたが、[[1494年]]メディチ家のフィレンツェ追放と共に破壊された。芸術[[ミステリー]]を数多く執筆しているミステリー作家の[[深水黎一郎]]はこの絵を「残っていて欲しかった名画ベスト3・西洋篇」の第2位に挙げている(講談社『群像』2012年10月号)。
 
[[File:Retrato de Bernardo di Bandino Baroncelli executado.jpg|thumb|100px|ダ・ヴィンチによる{{仮リンク|ベルナルド・バンディー|it|Bernardo Bandini}}処刑のスケッチ (1479年)]]
また関係者ベルナルドが[[コンスタンティノープル]]に逃れていたところを捕らえられ、[[1479年]][[12月]]に絞首刑に処されたが、この模様を[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]がスケッチに残し、こちらは現存している。