「O-2 (航空機)」の版間の差分

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== 戦歴 ==
[[軍用機]]として採用されたのは[[1966年]]で、[[ベトナム戦争]]において[[観測機]]の[[O-1 (航空機)|O-1A バードドッグ]]の生存性が芳しくないことから、双発であるO-2が採用された(実際には後に採用された[[OV-10 (航空機)|OV-10]]と共に3機が混合使用された)。[[ロケット弾]]などの装備が可能であったが、直接の攻撃任務には用いられず、O-2Aはマーキング用ロケット弾を装備して[[前線航空管制]](FAC)に、O-2Bは[[スピーカー]]や降伏を勧めるビラの撒布装置を装備して[[心理戦]]に用いられた。
 
[[南ローデシア]](現在の[[ジンバブエ]])において、ここではリンクスと称して、[[ゲリラ]]に対して[[ナパーム弾]]を投下するなど本格的な[[COIN機|COIN]]任務に用いられた。ただし、前述したように兵装搭載量が少なかった上に、高地という南ローデシア特有のが高地という事情もあり、最大限度まで兵装を搭載した場合、[[エンジン]]が出力不足に陥る事があった。その場合、状態での飛行は運動性が大きく鈍ってり、ゲリラの[[対空兵器]]の標的とされる上、最悪の場合エンジン停止に至る事もあり、[[パイロット (航空)|パイロット]]の評判は良くなかったという。
 
[[モーリタニア軍#空軍|モーリタニア空軍]]は、COIN機として[[アルゼンチン]]の[[FMA IA 58 プカラ|プカラ]]を導入する予定であったが諸事情から中止となり、[[フランス]]製のFTB337を導入していた。この機体は、[[イギリス]]製の[[ブリテン・ノーマン アイランダー|BN-2 ディフェンダー]]COIN機と共に、[[西サハラ問題|西サハラ紛争]]や国内の騒乱に投入されたとみられる。