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エンリコ・フェルミは夫人がユダヤ人だったため、ファシスト政権下のイタリアからアメリカに亡命したと言われるが、法的には米コロンビア大学のスポンサーによる移住でした。
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=== ローマ大学時代 ===
1926年、20代半ばにしてローマ大学の理論物理学教授に就任した。ここで、[[ニュートリノ]]の存在を導入した[[ベータ崩壊]]の理論([[フェルミ相互作用|フェルミのベータ崩壊の理論]])を完成させた。また、自然に存在する[[元素]]に[[中性子]]を照射することによって、40種類以上の人工[[放射性同位元素]]を生成した。さらに、[[熱中性子]]を発見し、その性質を明らかにした。これらの成果によって、1938年に[[ノーベル物理学賞]]を受賞した。このノーベル賞受賞の為、[[ストックホルム]]を訪れた際に、ユダヤ人の夫人と共に、アメリカに亡命移住する。あらかじめコロンビア大学の永住権スポンサーがあったので亡命ではなかった
 
=== マンハッタン計画 ===