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===横浜・DeNA時代===
入団を機に打者へ転向するとともに、[[スイッチヒッター]]に挑戦
翌{{by|2000年}}
{{by|2001年}}
しかし{{by|2002年}}はキャンプイン前の減量が仇になり、さらに大きく打率をさげて1割台に終わった。
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{{by|2007年}}は多村が[[福岡ソフトバンクホークス]]へ移籍したこともあり、再び中堅手に戻る。前半戦は打撃不調に陥るが、後半戦で打率を2割8分台まで持ち直した。2度目のゴールデングラブ賞を受賞した。
{{by|2008年}}は4月に猛打賞を3度記録するなどしたが、夏場には調子を落とし、[[スターティングメンバー|スタメン]]落ちもしばしば経験した。最終的には打率.247で、本塁打も9本の成績に終わ
{{by|2009年}}以降は
{{by|2010年}}
{{by|2011年}}は体重を首位打者を獲った当時に戻した。開幕スタメンこそならなかったが、前半戦はレギュラーに定着。夏場はスタメン落ちが増えるも安定した成績を残していたが、9月26日の対[[広島東洋カープ]]戦で走塁中に左足を痛め、左大腿二頭筋肉離れで全治4~6週間と診断され戦線を離脱
[[File:20120318 Tatsuhiko Kinjoh, outfielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG|250px|rightt|thumb|金城の打撃フォーム<br/>(2012年3月18日、横浜スタジアム)]]
{{by|2012年}}は開幕スタメンに名を連ね、4月1日の開幕第3戦となる対阪神戦で[[横浜DeNAベイスターズ]]としてのチーム第1号本塁打を放つ。9月14日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦([[明治神宮野球場]])にて[[村中恭兵]]からこの日2安打目となるヒットをセンター前へ放ち、通算1500本安打を達成。スタメンの機会は多かったが、代打での打率が3割越えを記録するなど、代打で結果を残すことが多かった。
{{by|2013年}}
{{by|2014年}}、[[5月26日]]の
===巨人時代===▼
海外FA権の行使を宣言した金城に対して、巨人だけが交渉に応じたため、[[2014年]][[11月15日]]の初交渉で同球団への入団に合意<ref name=hochi141115 />。[[2014年]][[12月8日]]の入団記者会見には、自身と同じくFA権の行使によってヤクルトから移籍した横浜時代の同僚・[[相川亮二]]も顔を揃えた。背番号は'''33'''<ref>[http://www.giants.jp/G/gnews/news_399160.html V4へ新戦力加入 相川、金城の両選手が入団決定]巨人球団公式サイト2014年12月8日配信</ref>。
{{by|2015年}}には、春先から野手の故障者や不振が相次いだことを受けて、開幕から1番打者としてスタメンに起用された。古巣・DeNAと横浜スタジアムで対戦した[[4月15日]]には、移籍第1号となる3点本塁打を放ってチームの勝利に貢献
▲===巨人時代===
▲{{by|2015年}}は春先から野手の故障者や不振が相次いだことを受けて開幕から1番打者としてスタメンに起用された。古巣・DeNAと横浜スタジアムで対戦した[[4月15日]]には移籍第1号となる3点本塁打を放ってチームの勝利に貢献した。試合後には移籍後初めて同スタジアムでヒーローインタビューを受けた。しかし、試合を重ねるにつれて打率が徐々に下降。左前腕外頭部の損傷で登録を抹消された6月以降は1軍出場機会がなかった。2軍の[[イースタン・リーグ]]優勝で臨んだ[[福岡ソフトバンクホークス]]との[[ファーム日本選手権]]([[10月3日]]・[[サンマリンスタジアム宮崎]])では、「7番・左翼手」として[[スターティングメンバー|スタメン]]に起用された<ref>[http://www.npb.or.jp/farmchamp/2015start.html 2015年プロ野球ファーム日本選手権 先発メンバー]</ref>と、3安打を放って優秀選手賞を受賞<ref>[http://www.hochi.co.jp/giants/20151003-OHT1T50104.html 【巨人】久保、ラスト登板で1回無失点 20年ぶりファーム日本一逃す]スポーツ報知2015年10月3日配信</ref>。その一方で、1軍出場は36試合に留まり打率.233、1本塁打、10打点と不調のままシーズンを終えた。
[[2015年]][[10月18日]]に、球団へ任意引退を申し入れた。球団は、この申し入れを受諾したうえで、金城の現役引退を発表した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/1554443.html 巨人金城が引退 今季FAで加入、00年に首位打者]-2015年10月18日,日刊スポーツ</ref>。[[11月5日]]に、[[日本野球機構]](NPB)から任意引退選手として公示された<ref>[http://www.npb.or.jp/players/2015pn_retired.html 2015年度 任意引退選手] - 2015年11月5日閲覧</ref>。
===現役引退後===
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右打席のときはバットを振り切り、左打席ではフォロースルー直後に一塁へ駆け出す<ref>{{cite web|url=http://www.hochi.co.jp/giants/20141223-OHT1T50191.html|title=金城、バットで“二刀流”!左と右で1センチ違う|publisher=スポーツ報知|date=2014-12-24|accessdate=2015-08-29}}</ref>。上体を突っ込み気味にしながら打つというプロ野球選手でも珍しいバッティングフォームだが、ボールとの距離感を掴むためにはこのフォームが一番打ちやすいという<ref name="kinjo2011"></ref>。
横浜時代の通算8本のサヨナラ安打は球団最多タイ記録である<ref>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/05/27/kiji/K20140527008243470.html|title=金城 サヨナラ男だ!球団最多8度目の劇打で連敗止めた|publisher=スポニチ|date=2014-05-26|accessdate=2015-08-28}}</ref>。
礼儀正しく謙虚な人柄である。子どもの頃から人に対してとても優しく謙虚な姿勢の父を見てきたため、その姿をずっと目標にしてきたとのことである<ref>[http://www.hamaspo.com/sport/vol_s001/club.html これまでの道 これからの道 横浜ベイスターズ 金城龍彦選手] SPORTSよこはま</ref>。
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