「ノート:完投」の版間の差分

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Fuji 3 (会話 | 投稿記録)
メジャーでの継投の経緯について
 
Shimoxx (会話 | 投稿記録)
MLBで完投が減少した経緯
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あと、継投とアスレチックスのデータ野球(何とかという名前がありましたが思い出せません)って関係ないんでしょうか?知っている方教えてください。 [[利用者:Fuji 3|Fuji 3]] 2006年6月1日 (木) 08:49 (UTC)
 
:MLBで完投が減少し、継投が主流となったのは1980年代のことです。1970年代ごろから在野の野球マニアたちの間で野球の統計学的分析が次第に盛んになっていき、野球専門誌の中にもこうした統計学的分析を選手評価などに採用するところが現れ始めました(こうした野球の統計学的分析を[[セイバーメトリクス]]と言います)。
:そうした中で、1登板当たりの投球数が先発投手のフィジカルに大きな影響を与えていること、1登板当たり100球前後であれば負担過多とならないこと、その場合登板間隔は中4-5日であれば十分であることなどが明らかとなった訳です。これが1980年代のことです。ビリー・マーティンの完投主義がもたらしたアスレティックス先発陣の崩壊は確かにエポックメイキングな出来事でしたが、先発投手の負担を減らすことはMLBの傾向として現れてましたので、アスレティックス先発陣の崩壊が起こらなくとも、完投の減少・継投の主流化の波は止まらなかっただろうと推測されます。
:この辺りのことは当時の『Sports Illustrated』誌のバックナンバーを探せばたくさん関係記事を見つけられるだろうと思います。何度か読んだ記憶がありますし。
:余談ですが「投手の肩は消耗品である」という認識がMLBで生まれたものかは判りません。私は、日本の記者が「投手への過当な負担を減らそう」という当時のMLBの共通認識を日本へ紹介する際に、日米の彼我の差を浮きだたせるため「肩は消耗品」という誤訳をあえてしたのではないかと睨んでいますが、果たしてどうでしょうか。
:ところで、現在のアスレティックスのデータ野球は、ビリー・ビーンがゼネラルマネージャーに就任した1990年代後期からのものなので、1980年-81年の先発陣崩壊現象とは関係がありません。
:最後に、今の[[完投]]の内容は結構ヒドイですね。書くべきことが書かれていない憾みがあります。気が向けば全面改稿したいところですけど、今後の宿題にしときましょう。--[[利用者:Shimoxx|shimoxx]] 2006年6月1日 (木) 09:40 (UTC)
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