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{{Otheruses|ソ連の学者|ロシアのサッカー選手|ニコライ・ユーリエーヴィチ・ジリャーエフ}}{{ウィキポータルリンク|クラシック音楽}}'''ニコライ・セルゲーイェヴィチ・ジリャーイェフ'''('''Nikolay Sergeyevich Zhilyayev''', [[1881年]][[11月18日]] – [[1938年]][[1月20日]])は[[ロシア帝国]]末期から[[ソビエト連邦]]建国期にかけて活躍した[[音楽学者]]・[[教育者]]。[[大粛清]]の犠牲となった
 
[[1904年]]ごろに[[モスクワ音楽院]]で[[ミハイル・イッポリトフ=イワノフ]]と[[セルゲイ・タネーエフ]]に師事。自らもモスクワ音楽院の教員となり、[[アレクセイ・スタンチンスキー]]や[[アナトーリー・アレクサンドロフ]]、[[サムイル・フェインベルク]]のほか、[[アラム・ハチャトゥリアン]]や[[エフゲニー・ゴルベフ]]らを輩出した。
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ロシア音楽科学アカデミーや国立音楽科学研究所の研究員となった。多くの研究論文を遺している。
 
[[1937年]][[11月3日]]に逮捕され、翌[[1938年]][[1月20日]]に銃殺刑に処された。[[1961年]]4月に名誉回復された。
==参考文献==
*Mikhail Mishchenko: 'Zhilyayev, Nikolay Sergeyevich', Grove Music Online ed. L. Macy (Accessed 2 June 2007), <http://www.grovemusic.com>