「原胤昭」の版間の差分

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同じく明治7年(1874年)に[[キリスト教]]書店の[[銀座十字屋|十字屋]]を創業し、キリスト教書(洋書)の出版活動に従事する。明治11年([[1876年]])、ジュリア・カロザースの経営していた成樹学校を改組、改名し、[[原女学校]]を開設した。明治15年([[1882年]])に[[小林清親]]の[[錦絵]]「新版三十二相」を版行、翌明治16年([[1883年]])9月から[[福島事件]]の被告の肖像画「天福六家撰」を版行するが、これが[[自由党 (日本 1881-1884)|自由党]]員を応援するような内容の[[錦絵]]であるとして3枚出版したのみで発禁処分を受け、原自身も[[新聞紙条例]]違反等の罪に問われ、軽禁錮3月・罰金30円の刑に処され、[[石川島監獄]]に収監される。また同年、清親による「三十二相追加百面相」を出版している。送られた監獄は、かつて見回り方を務めていた石川島人足寄場が改まったものであった。この収監中に見た囚人の窮状から、監獄の改良や出獄者の保護が必要であると実感し、出獄後には[[教戒師]]になり釧路集治監で勤める。また、1898年に[[出獄人保護所]]を創立、囚人保護の事業に尽力する。
 
==著書==
*『猶太国地人名抄』十字屋書舗 1877
*『耶蘇教易知 第1(耶蘇教大意篇)』十字屋 1981
*『賓客応待たのもふどうれ』[[戸田欽堂]]校 ぽんちや 1881
*『母と子 何うしたら子供をよく躾けられるか』[[博文館]] 1909
*『出獄人保護』天福堂 1913
*『ひしがれたる者の呻き』私家版 1928
*『罪の人の生きる道』日本書院出版部 1930
 
===編共著===
*『万用字引』編 天福堂 1903
*『癩病予防に就て』編 中央慈善協会 1915
*『江戸町方与力』共編 私家版 1918
*『隠れたる江戸の吉利支丹遺跡』原鶴麿共著 私家版、1929
*『近代犯罪科学全集 第13篇 刑罪珍書集 第1』編 [[武侠社]] 1930
:翻訳
*ウィリアム・タラック『刑罰及犯罪予防論』同情会 1897
 
== 原胤昭を扱った作品 ==