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'''太穆竇皇后'''(たいぼくとうこうごう、生没年不詳)は、[[中国]]の[[唐]]の高祖[[李淵]]の夫人。唐の太宗[[太宗 (唐)|李世民]]の母。唐った後に[[皇后]]に追尊された。[[本貫]]は京兆郡平陵県。
 
== 経歴 ==
父は河套([[オルドス地方|オルドス]])地方で遊牧生活を守る[[匈奴]]系の[[費也頭]]集団のリーダーで、[[北周]]の上柱国も務める[[竇毅]]である。母は[[西魏]]の執政[[宇文泰]](北周の文帝)の五女の襄陽長公主であった。生まれたときにすでに髪が頸まで垂れ、3歳になると身長と等しくなったと伝えられる。『女誡』『[[列女伝]]』などを読み、一回読むと忘れなかったという。
 
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李淵が帝位に就くと、彼女の葬園を寿安陵とし、[[謚]]を'''穆'''とし、新たに皇后を立てることはなかった。のちに[[献陵]]に改葬され、太穆皇后と追尊された。[[上元 (唐高宗)|上元]]年間、'''太穆神皇后'''と増諡された。
 
== 子女 ==
=== 子 ===
#隠太子[[李建成]](息王)
#秦王[[太宗 (唐)|李世民]](太宗)
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#斉王[[李元吉]](巣王)
 
=== 女 ===
#[[平陽昭公主]]
 
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* 『[[新唐書]]』巻七十六 列伝第一「太穆竇皇后伝」
 
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[[Category:唐の追封皇后]]
[[Category:隋代の人物]]