「ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)」の版間の差分

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=== 他の継承者候補 ===
[[ファイル:George of Greece III.jpg|thumb|left|180px|ギリシャ式の正装姿のデンマーク王子ヴィルヘルム(後のゲオルギオス1世)]]
ゲオルギオス1世は、ギリシャ国民が初めて選択した国王ではなかった。オソン1世の打倒と同時に、国民の多くは共和国よりも君主制を支持したが、オソン1世の弟で[[推定相続人]]である[[ルイトポルト・フォン・バイエルン|ルイトポルト]]の王位継承を拒絶した。多くのギリシャ国民は、列強の一つであるイギリスとの関係強化を模索し、[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]の次男である[[エディンバラ公]][[アルフレート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|アルフレッド]]に王位継承を打診した。イギリスの外相だった[[パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル|ヘンリー・テンプル]]は、ギリシャ国民は「領土の拡張を熱望している」と考え、当時イギリスの保護領だったイオニア諸島でも同島のギリシャへの割譲を望む声が挙がった。しかし、[[1832年]]の[[ロンドン会議 (1832年)|ロンドン会議]]では、いずれの列強諸国の王族もギリシャの王位を継承することを禁止するとして、ヴィクトリア女王も次男のギリシャ王位継承に断固として反対した。それでも、ギリシャ国民は国民投票を実施し、240,000票中95%がアルフレッドの王位継承を望むという結果となり、共和制への移行案が93票、ギリシャ国民の中から国王を選出するという案が6票、オソン1世体制の維持案が1票を獲得した。
 
結局、ギリシャ政府と列強はデンマークのヴィルヘルム王子の王位継承を選択した。前国王オソンと新国王ヴィルヘルムとの間には2つの違いがあり、1つにはヴィルヘルムは列強による強要ではなく、ギリシャ議会の満場一致によって選出され、2つには「ギリシャの国王」ではなく「ギリシャ人の国王」と宣言された、という点にある。