「バウハウス」の版間の差分

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=== ニュー・バウハウス ===
モホリ=ナジは[[シカゴ]]芸術産業協会に招かれ、[[ニュー・バウハウス]]を設立した([[1937年]])。財政難のため1年ほどで閉鎖されたが、[[1939年]]に School of Design Chicago として再開<!-- 再開? -->、[[1944年]]には拡大し [[:en:IIT Institute of Design|The Institute of Design]] となった。シカゴの活動では特に写真の分野が有名である。モホリ=ナジの教育方式は、[[1949年]]に[[イリノイ工科大学]](IIT)に引き継がれた。
 
=== バウハウス大学ヴァイマル ===
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=== バウハウス・デッサウ財団 ===
[[1999年]]9月、「{{仮リンク|バウハウス・デッサウ財団|de|Stiftung Bauhaus Dessau|en|Bauhaus Dessau Foundation}}」管理のデッサウ校舎において理事長を務める{{仮リンク|オマー・アクバー|de|Omar Akbar}}が、実験的教育機関「[[バウハウス・コレーグ]]」を立ち上げた。対象は大卒や専門課程既卒者でクラスは英語で行われる。履修期間は一年(三期)で、一学期のみの履修もできる。私設学校であるため公的な卒業資格は得られない。往来のバウハウスが掲げていた「全ては建築に収束する」でなく、テーマは「都市」。メディア、建築、アート、デザインなどの専門知識を持った 20 人前後の学生たちで成り立つ。バウハウスブランドを利用しているという批判もあるが、21世紀のバウハウスを見据えた実験的試みが行われている。
 
== 日本からの留学者 ==