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[[享禄]]元年([[1528年]])に、[[宗将盛]]がこの地に築いた'''金石屋形'''(かねいしのやかた)を始めとする<ref name="城"/>。
 
金石城は、[[文禄・慶長の役]]の際に築かれた[[清水山城]]の麓に位置する[[平城]]で、宗氏の居城だった<ref name="百選">[[村田修三]] 監修『ビジュアル・ワイド 日本名城百選』小学館 2008年</ref>。金石屋形を、[[朝鮮通信使]]を迎えるために、近世城郭に改築したといわれ<ref name="城">平井聖 監修『城 〔8〕九州・沖縄』毎日新聞社 1996年</ref>、[[石垣]]や堀切が廻らされたが、[[天守]]は築かれず[[1669年]]([[寛文]]9年)に[[宗義真]]によって造られた大手口の櫓門を天守の代用としていた。
 
[[万治]]2年([[1659年]])の大火で市街とともに焼失し、万治3年([[1660年]])に[[宗義真]]によって城下の再建が行われた。寛文5年(1665年)<!--[[寛文]]9年([[1669年]])-->に整備・拡張されて以降は金石城といった<ref name="百選"/>。[[延宝]]6年([[1687年]])に新たに[[桟原城]]が築かれ、[[藩庁]]としての機能は移動したが、その後も城は存続し、[[文化年間]]には焼失した大手櫓を再建している。