「トーマス・クーン」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
著書の邦訳はいずれも「トーマス」と表記しており、「トマス」の表記について触れるとしても、「トマス」が「通常」というのは無理がある。 |
|||
26行目:
「'''トマス・クーン'''」と表記される場合もある。米国[[オハイオ州]][[シンシナティ|シンシナティ市]]の[[ドイツ系ユダヤ人]]([[ユダヤ系]])移民の家庭に生まれる(もともとの姓は''Cohen''という)。
[[ハーバード大学]]で[[物理学]]を専攻し
上述に加え、ハーバード大学(母校)や[[ボストン大学]]でも教鞭を執った経歴がある。
しかし、[[カール・ポパー|ポパー]]、[[ラカトシュ・イムレ|ラカトシュ]]、[[ポール・ファイヤアーベント|ファイアアーベント]]らはパラダイム概念に対して否定的で、クーンと彼らの間にパラダイムをめぐる論争が起きた。特に、1965年7月13日に行われた「批判と知識の成長」と題するシンポジウムにおいて、クーンは徹底的に批判された(後にこのシンポジウムは、「ポパー派によるクーンの袋叩き」と評されている)<ref name=noe89>{{Cite |和書 |author = 野家啓一 | authorlink = 野家啓一|title = 現代思想の冒険者たち24 クーン||date = 1981| pages = 198|publisher = 講談社 |isbn=4-06-265924-7|ref = harv }}</ref>。クーンが目指したものは、科学の研究現場に内在的で堅実な科学史研究であってそれ以外ではないことからすれば、彼らの論争はすれ違いの気配が濃厚であった。▼
クーンの最も有名な業績は、[[1962年]]に発表された主著『科学革命の構造』で、科学の歴史がつねに累積的なものではなく、断続的に革命的変化すなわち「'''パラダイムシフト'''」が生じると指摘した。
また、クーンの'''[[パラダイム]]'''概念は、科学史・科学哲学だけではなく、[[社会科学]]や現代思想、果てはビジネス本にまで登場するなど、広く知られるようになったが、多くの場合、クーン自身が意図した限定的な内実からは外れている。こうした「流行」の要因には、時代([[1960年代]])的なものもあるが、クーン自身の記述の曖昧さも指摘されている。曖昧さについての指摘を受けたこと、概念の安易な拡大利用を嫌ったことから、クーンはその後、パラダイム概念を放棄し、専門母型(disciplinary matrix)という概念に変更した。▼
▲しかし、[[カール・ポパー|ポパー]]、[[ラカトシュ・イムレ|ラカトシュ]]、[[ポール・ファイヤアーベント|ファイアアーベント]]らはパラダイム概念に対して否定的で、クーンと彼らの間にパラダイムをめぐる論争が起きた。特に、1965年7月13日に行われた「批判と知識の成長」と題するシンポジウムにおいて、クーンは徹底的に批判された(後にこのシンポジウムは、「ポパー派によるクーンの袋叩き」と評されている)<ref name=noe89>{{Cite |和書 |author = 野家啓一 | authorlink = 野家啓一|title = 現代思想の冒険者たち24 クーン||date = 1981| pages = 198|publisher = 講談社 |isbn=4-06-265924-7|ref = harv }}</ref>。クーンが目指したものは、科学の研究現場に内在的で堅実な科学史研究で
▲また、クーンの'''[[パラダイム]]'''概念は、科学史・科学哲学だけではなく、[[社会科学]]や現代思想、果てはビジネス本にまで登場するなど、広く知られるようになったが、多くの場合、クーン自身が意図した限定的な内実からは外れている。こうした「流行」の要因には、時代([[1960年代]])的なものもあるが、クーン自身の記述の曖昧さも指摘されている。曖昧さについての指摘を受けたこと、概念の安易な拡大利用を嫌ったことから、クーンは
== 著書 ==
|