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[[1170年]]にローテンブルク市が設置された。当時の町の中心は市場とヤコブ教会であった。この当時から街の要塞化が始まったとみられる。その時代の遺物として、古い地下室・古い堀や牛乳市場などを見る事が出来る。[[13世紀]]になると、塔や城壁が造られた。その中で現在まで残っているものはレーダー・アーチとマルクス塔である。
 
[[1194年]]から[[1254年]]まで、[[ホーエンシュタウフェン朝]]の代官がローテンブルク周辺の地域を支配した。この頃、聖ジョンヨハネ修道会やその他の修道会がヤコブ教会や[[ドミニコ会]]の修道院の近くに設置された。
 
[[1274年]]にローテンブルクは[[ハプスブルク家]]の[[ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)|ルドルフ1世]]から[[帝国自由都市|帝国都市]]の特権を与えられた。市内には三つの有名な市場が出来、その後の数世紀にわたり街は発展した。市内の住民と郊外の騎士らは[[フランシスコ会]]の修道院と聖霊病院を設置した([[1376年]] - [[1378年]]に市の防壁に組み込まれた)。[[ドイツ騎士団]]は[[1311年]]に聖ヤコブ教会の建設をはじめ、[[1336年]]から市民が使えるようになった(完成は[[1485年]])。聖ヤコブ教会には、[[十字軍]]遠征に伴いローテンブルクにもたらされた[[聖遺物]]とされる[[聖血]]が置かれた。これが多くの巡礼者を引き寄せ、中世のローテンブルクは第一級の巡礼地であった。その当時は[[神聖ローマ帝国]]内の上位20都市の中に入っていた。市壁の内側の人口は約5500人で、これに加えて周辺の390平方キロメートルの領地の中に14,000人が居住していた。