「孔子廟」の版間の差分

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二林史夫 (会話 | 投稿記録)
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有名なものでは[[東京都]]の[[湯島聖堂]]があり、[[江戸時代]](1690年)から設けられた。「[[昌平坂学問所]]」に付随して設置された。もともと[[朱子学]]の[[林羅山]]が上野忍が岡に先聖殿を築いたものを、[[江戸幕府]]が日本における儒教の学校として、[[湯島]]([[御茶ノ水]])に移築し、開き、林家の[[学問所]]としても発展した。また、最も見応えのあるものは、長崎の「孔子廟」である。江戸時代以降、外国貿易の地と定められ、[[唐人屋敷]]があった[[長崎市|長崎]]に、明治26年([[1893年]])、清国政府と在日華人が協力して、中国の総本山並に伝統美あふれた「孔子廟」が作られた。この「孔子廟」には、孔子と72賢人石像や孔子の教えを始め、中国の文化・学術を伝える施設の「中国歴代博物館」も孔子廟の「大成殿」裏にあり、中国の貴重な資料とともに、一般に公開されている。
ほかに、[[足利学校]](栃木県[[足利市]])や[[閑谷学校]](岡山県[[備前市]])の聖廟、[[多久聖廟]](佐賀県[[多久市]])などが有名である。また日本最南の孔子廟は[[沖縄県]][[那覇市]]にある[[至聖廟]]である<ref>この地はもともと“[[久米三十六姓]]”と言われる中国からの移民とその子孫が居住していた地だったために建てられた。58号線沿いに『大門(うふじょう)』久米大通り沿いに『西武門(にしんじょう)』と言う地名が残っていることから如何に巨大な居留地だったかがわかる。</ref>。もともとあった廟<ref>現在の国道58号線沿い、久米2丁目2番地の那覇商工会議所ビル付近</ref>は[[1676年]]に創建されたものであったが、[[沖縄戦]]により灰燼に帰したため、現在の廟は[[1975年]]に再建されたものである。長野県上伊那郡飯島町田切にある孔子廟は、青銅の孔子象と、当地の蚕糸組合「龍水社」を同志とともに設立した「山田織太郎翁」の石碑とともに設置されて祭られている。
 
== 朝鮮半島にある孔子廟 ==