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前述にあるように、営利目的の書物が日本で出版されたのは[[寛永]]年間([[17世紀]]前半)の京都から始まり、17世紀末になると京都では1万点近く発行された<ref>「歴史ミステリー」倶楽部 『図解!江戸時代』 [[三笠書房]] 2015年 ISBN 978-4-8379-8374-3 pp.222.</ref>。発行部数が増えるにつれ、[[江戸幕府]]は「[[出版取締令]]」を[[享保]]7年([[1722年]])に公布し、出版規定を定めた<!-- 同書 p.222. -->。まず原稿を[[検閲]]後、試し摺りをし、再び検閲するという経緯を経ており、将軍に関するスキャンダルや風俗を乱す内容、出典・根拠のない論説などは禁じられた<ref>同『図解!江戸時代』 三笠書房 2015年 pp.222 - 223.</ref>。
 
[[慶長]]年間には[[後陽成天皇]]の[[勅]]による「慶長勅版本」が出版され、『[[日本書紀]]』(神代巻)など四書が出された<ref>『広辞苑 第六版』 [[岩波書店]]一部参考。『詳説 日本史図録 第5版』 [[山川出版社]] 2011年</ref>。慶長4年([[1599年]])に出版された神代巻だが、当時は技術的問題もあり、100部ほどで、[[神宮]]・[[神社]]、身近な[[公家]]に配られたのみであった<ref>[[遠藤慶太]] 『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 [[中公新書]] 2016年 ISBN 978-4-12-102362-9 p.209.</ref>。書肆村上平楽寺(現[[平楽寺書店]])は[[寛文]]9年([[1669年]])に『[[日本文徳天皇実録]]』を刊行し、他の[[六国史]]も17世紀後半には『[[日本後紀]]』を除き、出されていくことになるが、その金額は一[[両]](『[[続日本紀]]』)から十[[匁]](『文徳実録』)までであった<ref>同『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 中公新書 2016年 p.210.</ref>。
[[江戸時代]]には木版印刷による出版が盛んになり、[[浮世草子]]、[[黄表紙]]、[[洒落本]]、[[滑稽本]]などが出版され、一般にも広く読まれた。[[版元]]として[[蔦屋重三郎]]などもよく知られている。
 
[[江戸時代]]には木版印刷による出版が盛んになり、[[浮世草子]]、[[黄表紙]]、[[洒落本]]、[[滑稽本]]などが出版され<ref>[[深谷克己]] 『江戸時代 日本の歴史6』 [[岩波ジュニア新書]] 第3刷2001年(1刷2000年) ISBN 4-00-500336-2 p.144.後の[[19世紀]]前半には[[読本]]、滑稽本、人情本、草双本、合巻などの[[化政]]文化が花開く。</ref>、一般にも広く読まれた。[[版元]]として[[蔦屋重三郎]]などもよく知られている。[[18世紀]]前半でも出版点数は1万点近く、[[大岡忠相]]が書物店屋に作らせた目録には7446種と記されている<ref>同『江戸時代 日本の歴史6』 岩波ジュニア新書 2001年 p.144.</ref>。当初、浮世草子や絵本は上方からの「下り商品」であったが、[[1770年代]](18世紀末)には洒落本や黄表本などの「地本」(江戸出版本)の出版数が上方を超えた<ref>同『江戸時代』 p.144.</ref>。民間の[[識字率|読み書き能力]]が向上したことも出版業界が形成された基礎条件となった<ref>同『江戸時代』 p.77.</ref>が、何より出版活動の活発化は近世人の[[美意識]]を育てる触媒となり、[[粋]](すい)から[[通]]・[[いき]]へと好みを分化させ、[[野暮]]を笑う空気を生み出した<ref>同『江戸時代』 p.146.</ref>。
 
[[明治時代]]になって活字を使った近代的な印刷術が急速に発展し、[[自由民権運動]]とともに政治的な主張を唱える新聞・雑誌も盛んになった。政府は一方では出版を奨励しつつ、他方で[[出版条例]](1869年)、[[新聞紙条例]](1875年)などを制定して言論活動を取り締まった(後に[[出版法]]1893年、[[新聞紙法]]1909年へと改正)。