「ソニー・リストン」の版間の差分

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[[1956年]]5月5日、路上でリストンを呼び止めた警官に暴行を働いた上に拳銃を奪い去ったとして感化院へ9ヶ月間送られる。その後、再び警官相手に暴力沙汰を起こして町を出て行くよう宣告を受け、セントルイスからフィラデルフィアへ拠点を移す<ref name="Sonny was a killing machine" />。
 
この頃から数年に渡って、ボクシングプロモーターでフィラデルフィアマフィアの裏の顔を持つフランク・パレルモと、ニューヨークマフィアの[[ルッケーゼ一家]]の一員で[[マーダー・インク]]の殺し屋でもあったフランキー・カルボ支配下で試合を行うようになる<ref name="Sonny was a killing machine" />。
 
[[1962年]][[9月25日]]、[[フロイド・パターソン]]に1ラウンドKO勝ちし、世界ヘビー級タイトルを獲得。1度防衛。
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[[1965年]][[5月25日]]、[[メイン州]][[ルイストン (メイン州)|ルイストン]]にてクレイにリターンマッチを挑むが、1ラウンド2分12秒でKO負けを喫した。
 
[[1971年]]1月5日、帰省から戻ってきた妻がラスベガスの自宅ベットの下でリストンが死んでいるのを発見、検査官によって既に6日前に死亡していた推定された。死因についてはキッチンでヘロインが見つかり、リストンの腕にも注射痕があったことからヘロインの過剰摂取とされているが、心臓麻痺やマフィアに殺害されたなど諸説ある<ref name="Sonny was a killing machine" /><ref>{{cite web|url= http://www.reviewjournal.com/sports/boxing/those-who-knew-him-best-still-say-sonny-liston-was-done |title= Those who knew him best still say Sonny Liston was done in |publisher= Las Vegas Review-Journal |date= 2011-1-5 |accessdate= 2015-2-6}}</ref>。
 
== 関連項目 ==
* [[ブラニフ航空]] - 広告に起用された
* [[男子ボクサー一覧]]
* [[世界ボクシング協会世界王者一覧|世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧]]