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== 生涯 ==
[[慶長]]19年([[1614年]])からの[[大坂の陣]]では参戦したものの、豊臣軍に敗れて逃走したと言われている。[[元和 (日本)|元和]]元年([[1615年]])、従五位下河内守に叙任。翌年父信幸が上田に移ったのち、沼田城主として3万石の所領を相続した。当時の沼田3万石は独立した藩ではなく、本家[[松代藩]]の分領(分地)であった。また、真田家は、沼田においては家臣が直接自分の領地である村を支配する、地方知行を行っていた<ref>土佐博文「「佐倉藩士の家に伝わった沼田藩真田家知行宛行状」(『千葉史学』68号、2016年)</ref>。
 
寛永4年(1627年)8月、[[酒井忠世]]の娘(松仙院)と婚姻。松仙院との間には長姫しか生まれず、側室との間に、熊之助・信直の二子を儲けた。ただし、信吉は、側室腹の男子について、父信之にも存在を隠していたという。