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第一次世界大戦の間、同社は5,000人を雇用して16,000機以上の航空機を製造した。ソッピースス社の航空機の多くは下請け企業によって製造され、ソッピース社自身が製造したものより多かった。それらの企業には[[フェアリー (航空機メーカー)|フェアリー]]、[[クレイトン&シャトルワース]]、[[ウィリアム・ビアドモア]]、[[ラストン・プロクター]]などがある。
 
戦争終結後、同社は戦争中に製造した機体をベースにした航空機、例えばパップの派生型のダブ、キャメルの単葉型スワローなどを民間市場に提供しようとしたが、戦時中の余剰航空機が広範かつ安価に入手できる状況では採算の取れるものではなかった。1919年に同社は[[ABCモーターサイクル]]と提携して、400cc水平2気筒のオートバイをライセンス生産した<ref>{{cite web|url=http://www.motorbike-search-engine.co.uk/classic_bikes/abc-classic-motorccyles.php|title=ABC Classic Motorcycles|accessdate=2008-11-22}}</ref>。また、多角化を試みてABCモーターズの購入も行ったが、この賭けも失敗に終わった。ソッピース社の経営は1920年に破綻し、また政府からの[[戦時利得税]]に関する暗黙の強い要請に直面して、解散した。
 
ソッピース社清算の直後、トム・ソッピースは、ハリー・ホーカー、フレッド・シグリスト、ビル・エアらと共に「H・G・ホーカー・エンジニアリング」社を設立した。同社はのちの[[ホーカー・エアクラフト]]から[[ホーカー・シドレー]]にいたる系列の前身である。ソッピースはその引退まで、ホーカー・シドレー社の会長を務めた。ホーカー社とその後継者は、両大戦間の[[ホーカー ハート|ハート]]や[[ホーカー デモン|デモン]]、[[第二次世界大戦]]で活躍した[[ホーカー ハリケーン|ハリケーン]]、[[ホーカー タイフーン|タイフーン]]、[[ホーカー テンペスト|テンペスト]]、そして戦後の[[ホーカー シーフューリー|シーフューリー]]、[[ホーカー ハンター|ハンター]]、[[ホーカー・シドレー ハリアー|ハリアー]]などの多くの著名な軍用機を生み出した。驚くべきことに、これら後期のジェット機は、1918年に[[ソッピース スナイプ]]を作ったのと全く同じ工場建屋で製作された。