「交響曲第5番 (マーラー)」の版間の差分

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'''交響曲第5番'''(こうきょうきょくだい5ばん)[[嬰ハ短調]]は、[[グスタフ・マーラー]]が[[1902年]]に完成した5番目の[[交響曲]]。5[[楽章]]からなる。マーラーの作曲活動の中期を代表する作品に位置づけられるとともに、作曲された時期は、[[ウィーン]]時代の「絶頂期」とも見られる期間に当たっている。
 
[[1970年代]]後半から起こったマーラー・ブーム以降、彼の交響曲のなかで最も人気が高い作品となっている。その理由としては、大編成の[[管弦楽]]が充実した書法で効果的に扱われ、非常に聴き映えがすること、音楽の進行が「暗→明」という[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]以来の伝統的図式によっており曲想もメロディアスで、マーラーの音楽としては比較的明快で親しみやすいことが挙げられる。とりわけ、[[ハープ]]と[[弦楽器]]による第4楽章アダージェットは、[[ルキノ・ヴィスコンティ]]監督による[[1971年の映画]]『[[ベニスに死す (映画)|ベニスに死す]]』([[トーマス・マン]]原作)で使われ、ブームの火付け役を果たしただけでなく、マーラーの音楽の代名詞的存在ともなっている。
 
[[交響曲第2番 (マーラー)|第2番]]から[[交響曲第4番 (マーラー)|第4番]]までの3作が「[[少年の魔法の角笛|角笛]]交響曲」と呼ばれ、[[声楽]]入りであるのに対し、第5番、[[交響曲第6番 (マーラー)|第6番]]、[[交響曲第7番 (マーラー)|第7番]]の3作は声楽を含まない純器楽のための交響曲群となっている。第5番で声楽を廃し、純器楽による音楽展開を追求するなかで、一連の音型を異なる楽器で受け継いで音色を変化させたり、[[対位法]]を駆使した多声的な書法が顕著に表れている。このような書法は、音楽の重層的な展開を助長し、多義性を強める要素ともなっており、以降につづく交響曲を含めたマーラーの音楽の特徴となっていく。
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この辞任は、マーラーが[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]の交響曲などを編曲して上演したり、自作や[[リヒャルト・シュトラウス]]、[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]の作品をプログラムに組んだりしたことが、ウィーンの保守的な批評家・聴衆から非難されたことによる。批評家からは「音楽の狂人」、「ユダヤの猿」など耐え難い批判を浴び、移り気な聴衆は代役指揮者を支持することなどがあったとされる。同時に、マーラーが専制君主的に接した楽団員ともトラブルが発生した。
 
しかし、[[ウィーン国立歌劇場|ウィーン宮廷歌劇場]]の職は維持しており、[[ブルーノ・ワルター]]や[[レオ・スレザーク]]らを同歌劇場に登用、自身の理想とする舞台づくりに邁進する。ウィーン・フィルとの関係自体も継続され、[[1902年]]3月にマーラーの妹ユスティーネはウィーン・フィルの[[コンサートマスター]]、[[アルノルト・ロゼ]]と結婚している。
 
=== 作曲と指揮 ===
[[1901年]][[]]、マーラーは[[ヴェルター湖]]畔のマイアーニック([[:de:Maiernigg|Maiernigg]])で休暇を過ごし、作曲小屋で、『[[リュッケルトの詩による5つの歌曲]]』の第1曲から第4曲まで、『[[亡き子をしのぶ歌]]』の第1曲、第3曲、第4曲、『[[少年の魔法の角笛]]』から「少年鼓手」を完成させ、続いて交響曲第5番の作曲をスケッチする。
 
休暇を終えたマーラーは、[[11月25日]]に自作の[[交響曲第4番 (マーラー)|交響曲第4番]]を[[ミュンヘン]]で初演。これは不評だったが、翌1902年6月、[[クレーフェルト]]で[[交響曲第3番 (マーラー)|第3番]]の全曲初演を指揮して大成功を収めた。クレーフェルトでは、[[ウィレム・メンゲルベルク]]と知り合う。前後して、[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]『[[ホフマン物語]]』(1901年11月11日)やリヒャルト・シュトラウス『火の欠乏』(1902年1月29日)などの[[オペラ]]作品をウィーン初演している。
 
第5交響曲は、スケッチから1年後の1902年夏に同じマイアーニックの地で完成。同時期に『リュッケルトの詩による5つの歌曲』の第5曲も完成している。
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[[葬送行進曲]](正確な速さで〈tempo giust=心拍の速さで の意味?〉。厳粛に。葬列のように) [[嬰ハ短調]] 2分の2拍子 二つの中間部を持つABACAの形式(小[[ロンド形式]]) 最後のAは断片的で、主旋律が明確に回帰しないため、これをコーダと見て、ABAC+コーダとする見方もある。
 
[[交響曲第4番 (マーラー)|交響曲第4番]]第1楽章で姿を見せた[[トランペット]]の不吉な[[ファンファーレ]]が、重々しい葬送行進曲の開始を告げる。主要主題は弦楽器で「いくらかテンポを抑えて」奏され、付点リズムが特徴。この主題は繰り返されるたびに変奏され、オーケストレーションも変化する。葬送行進曲の曲想は『[[少年の魔法の角笛]]』の「少年鼓手」との関連が指摘される。一つの旋律が異なる楽器に受け継がれて音色変化するという、マーラーが得意とする手法が見られる。再びファンファーレの導入句がきて、主要主題が変奏される。さらにファンファーレが顔を出すと、「突然、より速く、情熱的に荒々しく」第1トリオが始まる。第1トリオ(B)([[変ロ短調]])は激しいもので、やがてトランペットがファンファーレを出して、主部が回帰する。主要主題は今度は木管に出る。終わりには、『[[亡き子をしのぶ歌]]』の第1曲「いま太陽は晴れやかに昇る」からの引用があり、ティンパニのきざむリズムが残る。第2トリオ(C)([[イ短調]])は弦によって始まる陰鬱なもの。重苦しい頂点を築くと、トランペットのファンファーレが三度現れるが、そのまま静まってゆき、最後にトランペットと大太鼓が残って、曲は、静かに結ばれる。
 
演奏時間は11~15分程度。本楽章はマーラー自身による演奏がピアノロールに残されており、その演奏時間は約14分である。
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第1楽章の素材が随所に使われ、関連づけられている。
短い序奏につづいて、ヴァイオリンが激しい動きで第1主題を出す。曲はうねるように進み、テンポを落とすと[[チェロ]]が[[ヘ短調]]で第2主題を大きく歌う。この旋律は第1楽章、第二の中間部の動機に基づいている。
 
展開部では初めに序奏の動機を扱い、第1主題が出るがすぐに静まり、[[ティンパニ]]の弱いトリル保持の上に、チェロが途切れがちの音型を奏するうちに第2主題につながっていく。明るい行進曲調になるが、第1主題が戻ってきて再現部となる。すぐに第2主題がつづく。第2主題に基づいて悲壮さを増し、引きずるような頂点となる。楽章の終わり近く、金管の輝かしいコラールが[[ニ長調]]で現れるが、束の間の幻のように消え去って、煙たなびく戦場のような雰囲気で終わる。
 
演奏時間:13.5~16分程度。
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[[スケルツォ]](力強く、速すぎずに)、[[ニ長調]] 4分の3拍子、自由なソナタ形式
 
拡大されたソナタ形式のスケルツォで全曲の中でも最長の楽章。この楽章単独で第2部となっている。第1、2楽章から一転して楽しげな楽想で、4本のホルンの特徴的な信号音の導入に促されて木管が第1主題(スケルツォ主題)を出す。第1主題が変奏されながらひとしきり発展した後、[[レントラー]]風の旋律を持つ第2主題(第1トリオ)が「いくぶん落ち着いて」ヴァイオリンで提示される。これは長く続かず、すぐに第1主題が回帰する。まもなく、展開的な楽想になり「より遅く、落ち着いて」と記された長い第3主題部(第2トリオ)へ入ってゆく。主題を変奏しながら進行し、最後はピッツィカートで扱われる。そこから第2主題が顔を出して展開部へ入る。展開部は短いが、ホルツクラッパーが骨の鳴るような音を出すなど効果的に主題を扱う。提示部と同様に再現部も開始する。第1主題の再現後、第2主題、第3主題も混ざり合わさって劇的に展開し、展開部が短いのを補っている。その後、第2主題が穏やかに残り、提示部と同様に第3主題による静止部分がきて、やはり最後はピッツィカートで扱う。コーダは華やかなもので最後にホルンの信号音が出て曲を閉める。
 
全曲の構成は、この長大なスケルツォ楽章を中心として各楽章が対称的に配置されており、マーラーは、この手法を[[交響曲第7番 (マーラー)|第7番]]でも使用することになる。
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アダージェット(非常に遅く) [[ヘ長調]] 4分の4拍子、[[三部形式]]
 
[[ハープ]][[弦楽器]]のみで演奏される、静謐感に満ちた美しい楽章であることから、別名「愛の楽章」とも呼ばれる。『亡き子をしのぶ歌』第2曲「なぜそんな暗い眼差しで」及び『リュッケルトの詩による5つの歌曲』第3曲「私はこの世に忘れられ」との関連が指摘される。
中間部ではやや表情が明るくなり、ハープは沈黙、弦楽器のみで憧憬を湛えた旋律を出す。この旋律は、終曲でも使用される。休みなく第5楽章へ繋がる。