「タマル (グルジア女王)」の版間の差分

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死後、[[正教会]]によって[[聖人]]に列されている。現在流通している50[[ラリ]]紙幣に肖像が使用されている。
 
== タマル女王時代のグルジア王国の領域 ==
[[ファイル:Georgian empire with tributaries.png|thumbnail|250px|thumb|right|タマル女王時代のグルジア王国]]
[[1204年]]、[[イタリア]]の[[ヴェネチア]]商人の策謀によって[[第4回十字軍]]が[[コンスタンティノープル]]を占領し、[[東ローマ帝国]]が没落した際には、タマルは皇帝一族が現[[トルコ]]領内に建てた[[亡命]]政権[[トレビゾンド帝国]]の建国を援助している<ref name=lang>デヴィッド・マーシャル・ラング「グルジア:歴史」『ブリタニカ国際大百科事典』(1973)</ref>。
 
タマル女王時代は、その領域が[[カスピ海]]沿岸の[[アゼルバイジャン]]から[[カラチャイ・チェルケス共和国|チェルケシア]]、トルコ領[[エルズルム]]からガンザ(キロババート)にまで広がる、汎カフカス帝国をかたちづくり、トレビゾンドおよび{{仮リンク|シルワン|en|Shirvan}}がその[[同盟国]]ないし[[属国|藩属国]]であった<ref name=lang/>。
 
== 関連項目 ==