「ルイ・ロペス・デ・ビリャロボス」の版間の差分

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ロペス・デ・ビリャロボスは[[1541年]]、[[ヌエバ・エスパーニャ]][[植民地]](現在のメキシコ)の初代[[副王]]([[総督]])、[[アントニオ・デ・メンドーサ]]によって[[東インド諸島]]への航海を指揮するよう任命され、[[1542年]]に4隻の船でメキシコを出航した。彼の艦隊は北太平洋を横断し多くの小島(おそらく[[ハワイ諸島]]も含まれると思われる)を発見した後、まず[[ルソン島]]の南海岸に達し、短い間停泊した。続いて[[サマール島]]、[[レイテ島]]に到達し、彼はスペイン皇太子(後の[[フェリペ2世]])を称えてこの島々に「ラス・イスラス・フェリピナス (Las Islas Felipinas) 」と命名した。これが現在の「'''フィリピン'''」の国名の由来である。しかし、敵意を見せる先住民に島を追い出され、飢えと難破に見舞われ、ロペス・デ・ビリャロボスは島への入植と探検をあきらめた。
 
[[1543年]][[8月26日]]、[[金銀島探検]]探索のため[[ミンダナオ島]]を出発し、[[10月2日]]に[[北硫黄島]]付近を通過し、[[火山列島]]を発見している<ref>田中 pp16-17</ref>。
 
彼らの生き残りはモルッカへの脱出を試みたが、先にモルッカに来ていたポルトガル人との争いに敗れ、彼らは捕虜となった。