「ウズベク」の版間の差分

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== 歴史 ==
ウズベクを率いた[[シャイバーニー朝]]が[[16世紀]]はじめに南下、ティムール朝を滅ぼしてマー・ワラー・アンナフル周辺に定住して以来、ウズベクとは西トルキスタン南部に住む[[テュルク系]]遊牧民のことを指した。一方で、遊牧民から定住化するウズベクも増え、もともとのテュルク語と[[ペルシア語]]系の言葉との[[二言語話者|バイリンガル]]になってそれまでの定住民(チャガタイ・トルコ人や[[タジク人]])との違いがみられない者も都市では珍しくなくなった。このように定住化したウズベクが担った国家はマー・ワラー・アンナフルの[[ブハラ・ハン国]]、ホラズムの[[ヒヴァ・ハン国]]、フェルガナの[[コーカンド・ハン国]]の3国があり、男系は[[チンギス・ハーン]]の子孫([[チンギス統原理]])で女系は[[預言者ムハンマド]]の子孫([[サイイド]])という特徴を持つこの3つの国を総称してウズベク3ハン国と呼ばれる。これら3国は[[19世紀]]後半に[[ロシア帝国]]によって併合もしくは保護国化され、ロシアはこの地方の[[ムスリム]]定住民を言語に関係なく'''[[サルト人|サルト]]'''と呼んだ。
 
[[20世紀]]に入るとマー・ワラー・アンナフルのサルトの間から民族運動が起こり、彼らのうちのテュルク系の一派が西トルキスタン南部のテュルク系定住民と遊牧民を包括した民族名称としてウズベクの名を提唱した。ウズベク人概念は[[ソビエト連邦]]のもとで公式に採用され、ソ連の政策的な民族境界確定作業により、現代ウズベク民族が形成された。しかし、現代ウズベク民族とされた人々の中には、[[サマルカンド]]のウズベク人のように、[[ウズベク語]](と名付けられたテュルク語の一種)よりもむしろ[[タジク語]](と名付けられたペルシア語の一種)を[[母語]]とする人々も多く含まれていると言われている。このため、全世界の全ての地域の「民族」は一定の[[発展段階史観|発展段階]]を原住地でたどり現在に至っているという、[[マルクス・レーニン主義]]の公式に基づいたソ連による民族区分の恣意性がしばしば指摘される。