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[[兵庫県]][[神戸市]]生まれ。[[甲南中学校・高等学校|甲南高等学校]]、[[京都大学]][[文学部]]を経て京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1962年同博士課程単位取得退学。[[神戸国際大学|八代学院大学]]助教授を経て、1971年大阪市立大学文学部助教授就任。後、大阪市立大学文学部教授。1996年名誉教授。専門は日本中世で、ドイツ学者との交流や宗教史(天神信仰)の研究が有名。
 
学生時代の同級生は[[脇田晴子]]滋賀県立大学名誉教授、[[大山喬平]]京都大学名誉教授、大学院進学後は[[脇田晴子]]も同期になる。京大3回生の時に[[戸田芳実]](当時修士課程在籍)に[[石母田正]]の「中世的世界の形成」を薦められ、以降同期の大山喬平らと研究会を作って中世史の研究に没頭した。(石母田正著作集月報より)
 
門下生として[[木村茂光]]東京学芸大学教授、[[酒井紀美]]茨城大学教授、[[矢田俊文 (歴史学者)|矢田俊文]]新潟大学教授、[[吉井敏幸]]天理大学教授、[[山陰加春夫]]高野山大学教授らがいる。