「テクネチウム」の版間の差分

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* [[1877年]]、ロシアの科学者セルゲイ・カーンが白金鉱石から43番元素を発見したと報告。カーンは有名なイギリスの科学者[[ハンフリー・デービー]]にちなんで'''デビウム''' (dabyum) と名付けた。しかし、それは[[ロジウム]]、イリジウム、[[鉄]]の混合物であることが判明した。
* [[1908年]](明治40年)、[[小川正孝]]が43番元素を発見したと発表、'''ニッポニウム''' (nipponium, Np) と命名したが、後に43番元素は[[地球]]上には存在しない(半減期が短いため、地球が誕生してから現在までにほぼ全てのテクネチウムが[[崩壊]]している)ことが判明したためこれは取り消され、[[元素記号]]として使用される予定だった Np も[[ネプツニウム]]に使用された。現在、小川正孝の発見は75番の[[レニウム]]だったと考えられている。当時まだ75番元素は発見されていなかった。
* [[1936年]]、[[エミリオ・セグレ|セグレ]]は[[ローレンス・バークレー国立研究所]]を訪れた際に所長の[[アーネスト・ローレンス]]に依頼して、[[サイクロトロン]]で加速した重陽子線が衝突したモリブデン箔(部品の一部)を帰国後に送ってもらった。セグレは Carlo Perrier と共に[[パレルモ大学]]でこのモリブデン箔を分析して43番元素を12月に発見(人工的に作られた元素としては最初のものである)。[[1947年]]になってテクネチウムと命名された([[ギリシャ語]]の「人工」を表す "{{lang|gr|τεχνητός}}" (technitos) が語源)。ちなみに、パレルモ大学では[[パレルモ]]のラテン名にちなむ'''パノルミウム''' (panormium) という名を提案していた。
* [[1957年]] [[ポール・メリル]]により、[[赤色巨星]]にテクネチウムが存在することが[[スペクトル]]で観測された。