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'''キュクレウス'''({{lang-grc-short|'''Κυχρεύς'''}}, ''{{ラテン翻字|el|Kychreus''}})は、[[ギリシア神話]]の人物で、[[サラミース島]]の王である。河神[[アーソーポス]]の娘[[サラミース]]と[[ポセイドーン]]の子<ref>アポロドーロス、3巻12・7。 </ref>。一説によると大地から生まれたとされ、半身半蛇の姿であったといわれる<ref>リュコプローン、111。</ref>。[[カリクロー]]、[[グラウケー]]の父。
 
娘のうち、カリクローは[[スケイローン]](一説には[[ケイローン]]<ref>ヒュギーヌス、14。<!--ヒュギーヌスは単純な間違いが多い作家なので、同箇所はスケイローンの誤りと思われる。--></ref>)の妻となり、娘[[エンデーイス]]を生んだ<ref name=PL_TH_10>プルタルコス「[[テーセウス]]伝」10。</ref><ref group="注釈">エンデーイスは[[アイギーナ島]]の王[[アイアコス]]の妻である。</ref>。グラウケーは[[アクタイオス]]の妻で、[[テラモーン]]の母<ref>[[レーロスのペレキューデース]](アポロドーロス引用、3巻12・6)。</ref><ref group="注釈">一般的にテラモーンはアイアコスとエンデーイスの息子。</ref>。
 
== 神話 ==
神話によると母サラミースはポセイドーンによってサラミース島に連れ去られ、そしてその地でキュクレウスを生んだ<ref>シケリアのディオドロス、4巻72・4。</ref>。島の名を母にちなんでサラミース島と名づけたのはキュクレウスである<ref>パウサニアス、1巻35・2。</ref>。キュクレウスはサラミース島の人々を悩ませていた大蛇を殺して王となったが、男子が生まれなかったので、死に際してキュクレウスを頼って亡命して来たテラモーンに王国を譲った<ref>アポロドーロス、3巻12・7。</ref>。
 
島にはキュクレウスの聖域があったとされる<ref>パウサニアス、1巻35・2、36・1。</ref>。キュクレウスは[[アテーナイ]]でも崇拝され<ref name=PL_TH_10 />、アテーナイが[[メガラ]]とサラミース島をめぐって争ったとき、[[ソロン]]は密かにサラミース島に渡ってキュクレウスとペリペーモスに犠牲を捧げ、サラミース島を占領したといわれる<ref>プルタルコス「テーセウス伝」10、「[[ソロン]]伝」9。</ref>。
 
[[ストラボン]]によれば、サラミース島の古名はキュクレウスないしスキロスにちなんで、キュクレイア島、あるいはスキラス島と呼ばれた。またストラボンは[[ヘーシオドス]]の説についても触れている。それによるとサラミス島の大蛇はキュクレウスが育てたもので、キュクレウス蛇と呼ばれていたが、島に害をなしたのでエウリュロコスによって島から追い払われたのち、女神[[デーメーテール]]によって[[エレウシース]]に受け入れ、従者となった<ref>[[ストラボン]]、9巻1・9。</ref>。神話学者[[カール・ケレーニイ]]はこの大蛇をキュクレウス本人と考えている<ref>[[カール・ケレーニイ]]『ギリシア神話 英雄の時代』3・1。</ref>。なお、パウサニアスが伝えるところによると、[[サラミスの海戦|サラミース海戦]]のおりに1匹の大蛇が現れたとされ、[[神託]]はその大蛇がキュクレウスであると告げたという<ref>パウサニアス、1巻36・1。</ref>。
 
== 脚注 ==
===注釈===
<div class="references-small"><references group="注釈" /></div>
 
===脚注===
{{Reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年)
* [[プルタルコス]]『プルタルコス英雄伝(上)』[[村川堅太郎]]編、[[ちくま文庫]](1987年)
*[[カール・ケレーニイ]]『ギリシアの神話 英雄の時代』[[植田兼義]]訳、[[中公文庫]](1985年)
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年)