「ギニアビサウ」の版間の差分

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[[1998年]]のクーデター未遂事件の後、ギニアビサウはヴィエイラ派の軍と反政府のリーダーである{{仮リンク|アンスマネ・マネ|en|Ansumane Mané}}派の軍との間で激しい{{仮リンク|ギニアビサウ内戦|en|Bissau-Guinean Civil War}}が勃発した。内戦によって避難民30万人が[[ビサウ]]に流入するなど社会、経済は混乱し、[[1999年]][[5月7日]]に反政府軍がヴィエイラ政権を退陣させた。ヴィエイラはポルトガル大使館へ避難し、7月にポルトガルへと亡命した。
 
ヴィエイラの亡命後、1999年11月28日の大統領選挙によって[[2000年]]にはクンバ・ヤラが大統領に就任した。しかし実態は{{仮リンク|アンスマネ・マネ|en|Ansumane Mané}}が実権を握る軍事政権であった。まもなくヤラとマネは対立し、2001年11月30日にマネが暗殺される形でこの対立は決着したが、経済の低迷や政情不安は続き、[[2003年]][[9月14日]]に[[ヴェリッシモ・コレイア・セアブラ]]将軍の無血クーデターでヤラが辞任・逮捕された。ヤラの後任として[[エンリケ・ロザ]]が臨時大統領に就任し、[[2004年]]にはセアブラ将軍が死亡したものの議会選挙によりPAIGCが勝利。[[カルロス・ゴメス・ジュニオル]]首相による連立政権が樹立された。
 
[[2005年]]の大統領選挙では亡命先のポルトガルから帰国した無所属のヴィエイラが勝利し大統領に就任した。ヴィエイラの就任後、カルロス・ゴメス・ジュニオル首相が更迭され、[[アリスティデス・ゴメス]]が首相となった。[[2008年]]11月の議会選挙では多数派与党が勝利したが、選挙から一週間後には軍の不満分子による大統領官邸襲撃事件が発生した。この事件では反乱軍は撃退されクーデターは未遂に終わったが、この事件によって大統領警護隊が組織された。