「中浜哲」の版間の差分

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「杉よ! 眼の男よ!/俺は今 骸骨の前に起(た)って呼びかける/慈愛の眼 情熱の眼/沈毅の眼 果断の眼/すべてが闘争の器に盛られた/信念の眼!/女の魂を攫(つか)む眼/それ以上に男を惑わした眼/彼の眼は太陽だった/遊星はために吸いよせられた/彼の死には瞑目がない 太陽だもの/杉よ! 眼の男よ!/更生の霊よ/大地は黒く 汝のために香る」(『杉よ!眼の男よ!』・抄)
 
1923年10月4日朝、[[三重県]][[松阪市]]路上で[[田中勇之進]]とともに登校中の[[甘粕正彦]]の弟照仁(中学生・17歳)襲撃を図るが果たせず、田中は尾行刑事に取り押さえられ殺人未遂の現行犯で逮捕。16日には資金獲得を目的として大阪府下布施の[[十五銀行]]小坂支店を襲撃、誤って銀行員を刺殺した主犯[[古田大次郎]]はその場から逃亡して地下に潜伏、従犯の河合康左右、小西次郎、小川義雄、内田源太郎は逮捕され、中浜は恐喝殺人未遂で指名手配となる。1924年4月、「[[実業同志会]]」の[[武藤山治_(実業家)|武藤山治]]から革命資金提供の約束を取り付けていた中浜は倉地啓司と大阪の「実業同志会」のビルに赴くが、単身ビルに入ったところを駆けつけたトラック2台分の巡査によってがんじがらめに縛り上げられて逮捕される。

1925年9月10日、これら一連の「[[ギロチン社]]事件」に判決が下り中浜は古田とともに死刑宣告を受ける。1926年4月15日、死刑執行。享年29。最も過激で無頼と言われたが、
 
「手を執りてあい笑(え)まん日はいつならむ 親よ悲しき子を持てるかな」