「フェデリコ・バーモンテス」の版間の差分

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==1959年のツール・ド・フランス==
 
ともすれば総合優勝よりも山岳王にこだわりを見せていたバーモンテスだが、[[1959年]]のツールでは総合優勝も果たすことになる。ピレネー超えの第14ステージを終えた段階で、バーモンテスは総合首位の[[ヨー・ホーヘンナール]]に7分4秒差の6位につけていた。ところが翌、第15ステージの[[ピュイ・ド・ドーム]]での山岳個人タイムトライアルを制したばかりか、ホーヘンナールとの差を一気に4秒差まで縮める脅威の走りを見せる。
 
そして舞台をアルプスに移した第17ステージにおいて、区間優勝の[[シャルリー・ゴール]]を利して同タイム2位に入り、ついにここでマイヨ・ジョーヌを手に入れた。[[ガリビエ峠]]など標高2000m級の山々が連なる難所の第18ステージにおいても、[[ジャック・アンクティル]]、ゴールらを完璧に押さえ込んでマイヨを死守。アンクティルはこの時点で9分以上の差をつけられ5位、ゴールは21分以上の差をつけられ10位と、両者は完全に総合優勝争いから脱落した。その後アンクティルは懸命に追い上げを見せるものの3位どまり。バーモンテスが単なるクライマーではないという強さを遺憾なく発揮した大会となった。