「ドイツ再軍備宣言」の版間の差分
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'''ドイツ再軍備宣言'''(ドイツさいぐんびせんげん)とは、
*陸軍兵力を10万人に制限(戦前の平時には78個師団を擁していた)
*戦争画策の本拠として陸軍[[プロイセン参謀本部|参謀本部]]を廃止
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*軍用機の開発・保有禁止
== ヴェルサイユ条約の抜け道 ==
ヴァイマル共和国の歴代の[[陸軍統帥部長官]]は[[ハンス・フォン・ゼークト]]を含め、ヴェルサイユ条約の実質的な形骸化を目指して様々な方法を試みていた。
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*1933年に民間航空事業の促進を理由に[[ドイツ航空省|航空省]]を設け、民間航空操縦士養成学校で将来の軍用機パイロットを養成した。[[Ju 87 (航空機)|Ju 87]]急降下爆撃機も当初の開発は[[スウェーデン]]で行われている。
== 再軍備宣言後の急速な発展 ==
周到な準備が水面下で進んでいたため、再軍備宣言後は外国から干渉されない独立した普通の軍隊になるべく急速に発展した。
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**陸軍の名称変更:Reichsheer → Heer
**海軍の名称変更:Reichsmarine → Kriegsmarine
**[[ドイツ航空省|航空省]]から[[ドイツ空軍 (国防軍)|空軍]]へと脱皮:Luftwaffe
*国防省の名称変更:Reichswehrministerium(国軍省)→ Reichskriegsministerium(
*[[陸軍総司令部 (ドイツ)|陸軍総司令部]]の名称変更(海軍も同様):Heeresleitung der Reichswehr (陸軍統帥局)→ Oberkommand des Heeres(陸軍総司令部)
*陸軍参謀本部の名称の復活:Truppenamt([[兵務局 (ドイツ陸軍)|兵務局]]) → Generalstab(参謀本部)
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1936年、[[スペイン内戦]]に主として航空部隊、戦車部隊から成る[[コンドル軍団]]を派遣して[[フランシスコ・フランコ|フランコ]]軍を援助、派遣部隊は実戦経験を積んだ。
== 再軍備の完了を待たずに戦争開始 ==
1939年9月の[[第二次世界大戦]]開始時点で陸海空軍全て当初の再軍備計画を完了していなかった。「[[ポーランド]]に侵攻しても英仏は参戦しないだろう」とのヒトラーの誤算があった。海軍は1945年頃に向けての再建([[Z計画]])を図っている状況であり、陸軍も戦車は数量的に僅かであり、主力となるはずであった[[III号戦車]]や[[IV号戦車]]の不足で、訓練用の戦車や併合したチェコ製の戦車を主力として実戦に使用した。空軍のみが時代の先端に達しているという状況であった。
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