「阿木燿子」の版間の差分

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== 人物・来歴 ==
[[長野県]][[長野市]]で出生<ref>[http://www.47news.jp/CI/200710/CI-20071016-11372968.html 大きな使命感を忘れず−阿木燿子さんが昼食会で注文]</ref>、[[神奈川県]][[横浜市]]出身<ref>[https://www.city.nagano.nagano.jp/uploaded/attachment/12836.pdf]</ref><ref>[http://www.yokoaki.jp/profile/index.html 公式サイト]</ref>。[[捜真女学校中学部・高等学部|捜真女学校]]の小・中・高<ref>{{Cite web |url=http://www.tbs.co.jp/kitemite/kirari/34.html |title=阿木燿子さん |work=きらりすと |publisher=TBS |date=2001-01-03 |accessdate=2014-02-08 |archiveurl=http://archive.is/20121117194656/www.tbs.co.jp/kitemite/kirari/34.html |archivedate=2012-11-17}}</ref>を卒業後の[[1964年]]、[[明治大学]][[文学部]]史学地理学科<ref name="jl">[http://www.jlogos.com/webtoktai/index.html?id=10200176 著述業 【阿木燿子】] - JLogos 日外アソシエーツ「テレビ・タレント人名事典 </ref>に入学し、軽音楽クラブに入部。そこで、後に夫となる同学年の[[宇崎竜童]](法学部)と出会う<ref name="mei"/>。
 
作詞家としてのキャリアスタートは、[[1969年]]、[[グループサウンズ]]のジュリーと[[ザ・バロン|バロン]]のデビュー曲「ブルー・ロンサム・ドリーム」(作曲は宇崎竜童)。[[1971年]]12月に宇崎と結婚<ref name="jl"/>。宇崎竜童が率いる[[ダウン・タウン・ブギウギ・バンド]]に書いた「[[港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ]]」は、[[1975年]]の大ヒット曲になった。
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== エピソード ==
* 元来の美貌・スタイルのよさ・内面性から、[[カネボウ化粧品]]の専属契約を永年続けていた。
* かつて美容関連の単行本のインタビューで「(美容の秘訣として)1日に2リットルの冷たい水を飲むこと(特に起床時は必ず少量でも飲む)と、数十種類の[[野菜]]を食べること」と語った。「外食時も、野菜の副菜・一品ものをメインの料理とは別に注文し、テーブルが一杯になったことも多々ある」「よくよく調べたら、ある一日あたり50~6050〜60種の野菜を採っていたということもザラだ」とも告白。
* 大学の同期で音楽サークルの同窓だった宇崎とは、永年のおしどり夫婦で知られる<ref name="mainichi7">「時代を駆ける:宇崎竜童:RYUDO UZAKI (7)」 『毎日新聞』 2009年12月15日、12版、9面。</ref>。また阿木は大の酒好きなのに対して、宇崎は一滴も酒を飲まないことも知られる。
* 漫画家の[[石ノ森章太郎]]とは飲み友達で、その縁から『[[仮面ライダーBLACK]]』等の石ノ森が原作を手がける[[特撮]]作品の主題歌を担当する事になり、以後も特撮ヒーロー作品を手がける。
* 阿木は、「新タワー名称検討委員会」の委員10名<ref>阿木以外の9名は、青山佾<small>(やすし)</small>、飯島一暢、飯田朝子、五十嵐意承、澄川喜一、竹内誠、戸恒浩人、中野恒明、山﨑昇。 ([http://www.tokyo-skytreetown.jp/dl/pdf/071129_2.pdf 17,429 件の新タワー名称案のご応募をいただきました。(PDF)])</ref>のうちの一人に任命された。そして、一般公募で寄せられた計1万8606件(1万7429件という説も)の名称案をふるいにかける[[2008年]][[3月]]の委員会の場では、数件に過ぎなかった'''[[東京スカイツリー]]'''をピックアップした。『[[ジャックと豆の木]]を連想した』というように熱弁を振るって推したこともあり、阿木の意見が通り、その名称案は、「新タワーネーミング全国投票」にノミネートされる6つの最終候補に残ることとなった<ref>「天まで届け」(中) - 『読売新聞夕刊』 2012年4月20日、17面</ref>。
 
== 賞詞 ==
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**大衆賞(第9回・昭和51年度)「[[横須賀ストーリー]]」
**作品賞(第9回・昭和51年度)「想い出ぼろぼろ」
**作品賞(第11回・昭和53年度)「[[プレイバックPart2 ]]」
**大賞(第12回・昭和54年度)「[[魅せられて (ジュディ・オングの曲)|魅せられて]]」
*[[日本レコードセールス大賞]]作詩賞(第10-12回・昭和52-54年)
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** I don't know yet!(アルバム[[HONMOKU1971]]に収録)
** 何処にいても(アルバム[[HONMOKU1971]]に収録)
* TAMAO・KIYOSHI( [[中村玉緒]]と[[氷川きよし]]のユニット)
** [[ラブリィ]]
* [[宝塚歌劇団]][[雪組]]
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**「[[霧の旗#1991年版|松本清張作家活動40年記念・霧の旗]]」(1991年) - 河野径子 役
**「[[タクシードライバーの推理日誌]]6 再会した女」(1995年) - 大町千紗 役
* [[びいどろで候長崎屋夢日記]](1990年、NHK) - 写楽斎 役
* [[代表取締役刑事]](1990年 - 1991年、テレビ朝日) - 橘麻子 役
* [[七人の女弁護士#第2シリーズ(1991年)|七人の女弁護士 第2シリーズ]] 第5話「過去からの殺人者!離婚妻へ恐怖の匿名電話が…」(1991年、テレビ朝日)
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== 書籍 ==
*『十六夜小夜曲』新潮文庫、1985
*『プレイバックPartⅢPart III』新潮文庫、1985 のち集英社文庫 
*『まぁーるく生きて 詞の美しさを知っていますか』ハーレクイン・ドラマティック・エッセイ 1986 のち集英社文庫
*『指輪の重さ』集英社、1989 のち文庫 
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[[Category:紫綬褒章受章者]]
[[Category:NHK紅白歌合戦歌唱楽曲・作詞者・作曲者]]
[[Category:日本の優]]
[[Category:横浜市出身の人物]]
[[Category:1945年生]]