「ヴァルナ (ブルガリア)」の版間の差分

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[[File:Karte der Stadt Warna 1897.jpg|right|thumb|1897年のヴァルナ市街の地図]]
 
1878年にブルガリアはオスマントルコ帝国からブルガリアは解放され、当時街の人口は2万6千人で[[ベルリン条約 (1878年)|ベルリン条約]]によりブルガリアへ譲渡された。ロシアの軍隊が7月27日に入城している。ヴァルナはその後、[[第一次バルカン戦争]]や[[第一次世界大戦]]の前線都市となり、経済は悪い状況となり一時的(1913-1916、1919-1940)に農業の後背地である南ドブロジャからルーマニアは損失の影響を受けた。解放後の最初の数十年でほとんどのトルコ人やギリシャ人は街を出て行き、ブルガリア人が内陸やドブロジャ北部、[[ベッサラビア]]、[[小アジア]]、その後[[マケドニア]]やトラキア東部、ドブロジャ南部から難民がやって来ており、続く第二次バルカン戦争や第一次世界大戦では民族の多様性はブルガリア人が多い状況になったものの、かなりの少数民族である[[ガガウズ人]]や[[アルメニア人]]、[[セファルディム]]の人々はその後数十年間残っている。
第二次世界大戦では1944年9月に[[赤軍]]が街を進駐し、ブルガリアで共産主義統治を確かなものにするのを助けている。