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=== 創設 ===
[[ファイル:A_Shimbu_unit_with_Nakajima_Ki-84.jpg|thumb|270px|神風特別攻撃隊]]
[[ファイル:Lt Yukio Seki in flightgear.jpg|thumb|220px|特攻第一号となった関行男大尉]]
1944年10月19日夕刻、マバラカット飛行場第201海軍航空隊本部で大西、201空副長[[玉井浅一]]中佐、一航艦首席参謀[[猪口力平]]、二十六航空戦隊参謀兼一航艦参謀[[吉岡忠一]]中佐が集合し、特攻隊編成に関する会議を開いた。大西は「[[空母]]を一週間くらい使用不能にし、[[捷一号作戦]]を成功させるため、零戦に250㎏爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに確実な攻撃法は無いと思うがどうだろう」と提案した<ref>戦史叢書56海軍捷号作戦(2)フィリピン沖海戦 p111</ref>。これに対して玉井は、山本が不在だったために「自分だけでは決められない」と返答したが、大西は小田原が山本と面会して既に同意を得ていることを伝え、同時に特攻を決行するかは玉井に一任した。玉井は時間をもらい、飛行隊長指宿正信大尉・横山岳夫大尉と相談した結果、体当たり攻撃を決意して大西にその旨を伝えたが、その際に特攻隊の編成は航空隊側に一任して欲しいと大西に要望し、大西はそれを許可した<ref>戦史叢書56海軍捷号作戦(2)フィリピン沖海戦 p111、森史朗『特攻とは何か』文春新書75-82頁</ref>。