「アントニ・ファン・レーウェンフック」の版間の差分

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[[1674年]]、バーケルス湖から採取した水を観察していたレーウェンフックはこれまで誰も報告したことのない奇妙な動く物体を発見。生物であるという証拠はなかったが、微小動物(animalcule、アニマルクル)と名付けた。このとき顕微鏡の倍率は約200倍に達していた。
 
しかし、肉眼で見えない小さな生物を実際に顕微鏡を使って微生物を観察したのはレーウェンフックが初めてではなく、レンズを用いて小さな生物が観察できることは彼が生まれるよりも100年以上前から一部の人達の間では知られていた。1508年の記録ではヴェローナのアレクサンダー・ベネディクトゥスが「皮膚やチーズに小さな虫がいる」と記している。
 
彼はその強い好奇心で様々なものを覗き、それによって新しいものを発見したが、それだけではなく、鋭く批判的な観察眼で、観察したものを分析したことも重要である。当時、微細な[[昆虫類|昆虫]]は植物種子などから自然発生するものと考えられていたが、レーウェンフックは観察によりこれらの生物も親の産む[[卵]]から[[孵化]]することを発見した。また、彼が発見した微生物についても、砂粒との類推からその大きさを計算したり、[[微生物]]にも誕生や死があることを確認したりしている。
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==レーウェンフックの顕微鏡==
レーウェンフックは生涯500もの顕微鏡を作ったとされ、現在彼の真作とされる顕微鏡はヨーロッパの博物館に9個残されている。1980年代にレンズ精度が調査され、[[分解能]]は1.35μmから4μmであった。8個の顕微鏡のうち5個が100倍以上、最高の倍率は266倍であった。観察記録から推察するなら実際には500倍に達していただろうという説もある。レーウェンフックはレンズの製造技術を秘密にしたが、当初のガラスを研磨してレンズを作る製法から、細いガラス管{{疑問点|date=2015年12月|talksection=顕微鏡のレンズ}} をバーナーで加熱して先端を溶かして小球状にする方法を用いるようになったと推測されている<ref>『[[細胞発見物語]]』山科正平著(ブルーバックス、2009年10月)ISBN 9784062576550</ref>。
 
== 脚注 ==