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== 前史 ==
イングランドでは、[[ューダー朝]]の成立以後、[[行政権]]の拡張と[[国王大権]]の強化が図られた。こうした行政権の拡張はその裏付けとなる[[財政]]支出の増加を伴ったため、大憲章などを盾に国民への課税の制限を求める議会との間で緊張が高まった。[[エリザベス1世]]は非生産的な[[宮廷]]経費の抑制を行うことで、国王大権を阻害することなく議会との妥結を図ろうとした。
 
ところが、エリザベスの死でチューダー朝が断絶し、隣国[[スコットランド]]の[[ステュアート朝]]から[[ジェームズ1世_(イングランド王)|ジェームズ1世]]が新国王に迎えられると、イングランドとスコットランドの国制のギャップから、新国王によるイングランドの法慣習無視が相次いで行われた。更に、生涯独身を貫いたエリザベスと違い、妻子を抱えた新国王の宮廷財政は急激に膨張していった。そこで[[1610年]]に国王と議会が妥協して、国家財政の一部を国民が負担するとする「[[大契約]]」が提示されたが失敗に終わり、以後国王と議会の確執が深まった。