「ネオユニヴァース」の版間の差分

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==== 宝塚記念出走 ====
日本ダービーの優勝馬は休養入り秋に備えるということ路線が常道となっていたが、6月16日、ネオユニヴァースが春のグランプリ・宝塚記念に出走することが決まり、翌日一斉に報じられた<ref name="yu0308">『優駿』2003年8月号、pp.128-132</ref>。同年のクラシック優勝馬が宝塚記念に出走するのは初めてのことであった<ref name="yu0308" />。吉田照哉によれば、ダービー後も体調が良いことに加え、年長の4歳以上馬とは[[負担重量]]で5kgの差があるということが出走に踏み切った最大の理由だったという<ref name="yu0308" />。宝塚記念には過去7頭の3歳馬が出走し、前年に同馬主の[[ローエングリン (競走馬)|ローエングリン]]がはじめて馬券配当圏内の3着に入っていた<ref name="yu0703-5">『優駿』2003年7月号、pp.7-10</ref>。
 
宝塚記念の出走馬を選定するファン投票では6位<ref name="yu0703-5" />、当日は[[JRA賞|前年度代表馬]]の[[シンボリクリスエス]]に次ぐ2番人気となった<ref name="yu0308" />。吉田は競走前「出した甲斐があった。去年の年度代表馬とダービー馬の対決をお客さんが見たいと思っていることの証。ゴール前の一騎打ちがあれば最高だと思う」と語った<ref name="yu0308" />。ほか、[[天皇賞|春の天皇賞]]を制してきた[[ヒシミラクル]]、国内外でGI競走6勝の[[アグネスデジタル]]、前年度優勝馬[[ダンツフレーム]]、GI競走2勝の[[イーグルカフェ]]ら、ファン投票上位の多くが顔を揃えた<ref>『優駿』2003年6月号、pp.38-39</ref>。
 
スタートが切られると、ネオユニヴァースは出遅れて後方からのレースとなる。道中は馬群の外目から位置を上げていき、最後の直線で追い込みを図るも伸びきれず、勝った[[ヒシミラクル]]から0秒3差の4着となった<ref name="yu0308" />。シンボリクリスエスは中団からレースを進めるも、ネオユニヴァースからさらにクビ差の5着となっている<ref name="yu0308" />。デムーロは「出遅れたことと、そのあと他の馬にぶつかったことが痛かった。後ろから行ったことは仕方ないし悪くはなかったが、道中ずっと外を回らされたのが、最後の伸びのなさにつながったのかな」と語り、瀬戸口は「スタートで後手を踏んだこともあるが、それは結果論。よく走ったんじゃないか。力負けとは思っていない」と語った<ref name="yu0308" />。
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=== 種牡馬時代 ===
総額12億円の[[シンジケート]]が組まれ、[[北海道]][[勇払郡]][[早来町]](現・[[安平町]])にある[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬となる。交配頭数は初年度から228頭、247頭と推移し、3年目には国内最多の251頭との種付けをこなした<ref>『優駿』2008年8月号、pp.24-25</ref>。初年度産駒は2008年にデビュー、9月に[[ロジユニヴァース]]が[[札幌2歳ステークス]]を制し、産駒が重賞初勝利を挙げる<ref>『優駿』2008年12月号、p.99</ref>。当年の2歳種牡馬ランキングでは、同じく新種牡馬の[[キングカメハメハ]]に次ぐ2位の成績を挙げるとなった<ref>『優駿』2009年2月号、p.147</ref>。翌2008年には[[アンライバルド]]が皐月賞を制し、JRA・GI(JpnI)で初勝利を挙げると同時に皐月賞史上6例目の父子制覇を達成<ref>『優駿』2008年6月号、p.85</ref>。さらに日本ダービーでは、ロジユニヴァースがやはり競走史上6例目の父子制覇を果たした<ref>『優駿』2008年7月号、p.83</ref>。
 
2010年には[[ヴィクトワールピサ]]が皐月賞と有馬記念を制覇。有馬記念ではデムーロが騎乗しており、競走後には「ネオユニヴァースが素晴らしいクリスマスプレゼントをくれました。2頭はそれぞれ違う個性を持っていますが、いいハートを持っているところは共通しています」と語った<ref>『優駿』2011年2月号、p.53</ref>。また2011年、ヴィクトワールピサとデムーロのコンビは世界最高賞金競走・[[ドバイワールドカップ]]を日本調教馬として初制覇した<ref>『優駿』2011年5月号、p.14</ref>。