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1966年9月、レノンが[[スペイン]]で[[僕の戦争]](''How I won the War'')を撮影している間、ハリスンとボイドは[[シタール]]の名手である[[ラヴィ・シャンカル]]の客人として[[ムンバイ|ボンベイ]]に滞在しており、1966年10月23日にロンドンに戻ってきた<ref name="Spitzp644-655"> Spitz (2005) pp644–655</ref>。1967年8月24日、かねてから東洋[[神秘学]]に関心があり、スピリチュアル・リジェネレーション・ムーブメント(Spiritual Regeneration Movement)に参加していたボイドは、ビートルズを[[インド]]の神秘論者[[マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー]]と会わせることを思い立つ。結果として彼らは[[バンガー]]を訪れ、彼と交流を持つこととなった<ref name="CNN2005">{{cite web |first=Todd |last=Lepold |url=http://www.cnn.com/2005/SHOWBIZ/Music/02/03/pattie.boyd/ |title=Harrison, Clapton and their muse |publisher=[[CNN]] |date=2005-02-03|accessdate=2008-03-08}}</ref><ref name="Spitzp710-711">Spitz (2005) pp710–711</ref><ref name="SydneyMorningHerald1">{{cite web |first=Steve |last=Meacham |url=http://www.smh.com.au/articles/2007/07/03/1183351210250.html |title=Beatle’s muse comes clean |work=[[The Sydney Morning Herald]] |date=2007-07-04|accessdate=2008-03-08}}</ref>。1967年6月25日、ボイドは[[われらの世界]]での[[愛こそはすべて]]の放送に参加<ref>{{cite news | last = Harrington| first = Richard| coauthors =| title = His Musical Notes Have Become TV Landmarks| pages = Y06| language =| work = [[Washington Post]]| date = 2002-11-24| url = http://player.interactual.com/news/McCartney.htl | accessdate = 2007-06-04}}</ref>。1968年、インドの[[リシケーシュ]](Rishikesh)にあるマハリシの[[アーシュラマ#転義|アシュラム]](ashram)をビートルズが訪れた際、彼女も同行した<ref>{{Cite book| publisher = Random House, Inc.| isbn = 9780307393845| last = Boyd| first = Pattie| coauthors = Penny Junor| title = Wonderful tonight| date = 2007-08-28|page=114}}</ref>。
 
=== ハリンとの破局 ===
レノンと[[ミック・ジャガー]]もまたボイドに引かれていたと発言しており、ジャガーは1980年代当時の恋人であったベベ・ビューエル(Bebe Buell)に、彼がボイドを数年に渡って誘惑したがダメだったことを告白している<ref name="SydneyMorningHerald1"/><ref name="bebebuell">{{cite book |first=Buell, Bebe |last=Bockris, Victor |url=http://books.google.com/books?id=x3ldMZrwQrQC&pg=PA117&dq=pattie+boyd&ie=ISO-8859-1&sig=ecEjx5WD4lTAuzPutYq7Vu2nVUE#PPA117,M1 |title=Rebel Heart: An American Rock 'n' Roll Journey|publisher=St. Martin’s press |accessdate=2008-03-08}}</ref>。1973年、ボイドは後に[[ローリング・ストーンズ]]のメンバーとなる[[ロン・ウッド]]と軽い浮気をし、そこでハリスンとは破局した<ref name="WoodHarrisonSleepingWithWife">{{cite web |first=Ronnie |last=Wood |url=http://www.dailymail.co.uk/pages/live/articles/showbiz/showbiznews.html?in_article_id=484697&in_page_id=1773 |title=The night I told George Harrison I was sleeping with his wife |work=[[Daily Mail]] |date=2007-09-29|accessdate=2008-03-06}}</ref>。 ボイドによると、ハリスンは彼女との休暇を取り消し(病気であったとしている)、ウッドの妻であるクリシーを誘って[[サルバドール・ダリ]]に会いにスペインに行っていたという。しかしハリスンはクリシーと関係を持ったことを後に否定している<ref name="dailymailpart2"/>。ボイドの弁解は、ハリスンがクリシー・ウッドとスペインに行っている間、彼女は妹のポーラと共に[[バハマ]]へ旅行しており、そのときにロン・ウッドが同行したいと言ってきたというものだった<ref name="dailymailpart2"/>。ボイドとウッドはロンドンに帰るとすぐ記者たちに嗅ぎ付けられ、1973年11月25日に二人のことが報道される。ボイドはハリスンの宗教への加熱と性格の変貌が、取り返しがつかないほど彼女を遠ざけたと述べている。その後1974年の6月に離婚。ボイドは[[ロサンゼルス]]にいた妹のジェニーのもとに身を寄せた。